鯉のぼりと五月人形

kanazu362008-05-03

「早起きは三文の徳」ということわざがある。
5月2日の早朝、近くでウグイスの「ホウホケキョ」と
鳴く声がする。
外の出て見るとテレビのアンテナの上で鳴いていた。
5月5日はこどもの日。
「こどもの日」特集チラシには、ゲームハード・ゲームソフト・おもちゃのはかイベント
などの案内が出ている。
新聞には、糸魚川市能生の弁天浜では約60匹、南魚沼市大崎の大崎ダムの湖上では
約300匹の鯉のぼりが五月の空になびく写真が。
鯉のぼりといえば五月人形を思い出す。
4月26日陽気に誘われ新潟市西大畑で砂丘館で開催されている「佐藤家の5月人形展」を
見て来た。
・鯉のぼり
 街を歩いても街中で大空を元気に泳ぐ鯉のぼりを見ることはめったに無い。
 信濃川やすらぎ堤を歩きNSTテレビ局前で悠々と泳ぐ鯉のぼりの家族を見た。
 ホールは20本以上も立てられ吹流しを含め約80匹の鯉のぼりが川風に揺られている。
 新潟市福島潟の菜の花が咲く湖畔の「潟来亭」脇でも鯉のぼりが春風を受け元気に泳ぐ。
 4月13日の「おもしろ子ども文化学」に端午の節句と鯉のぼりのはじまりが紹介
 されていた。
 5月5日は端午の節句で別名「菖蒲(しょうぶ)の節句」。
 ショウブやヨモギを軒に挿すのは邪気を払うためで、豊作を願う女性たちの行事の
 「五月忌(さつきいみ)」で中国から伝わった風習。
 端午の節句が男の子の節句となったのは江戸時代。
 ショウブの音が「尚武」「勝負」に通じることもあって武士たちが合戦に用いる「旗指し物」を
 門口立てた。
 これに対抗して町人たちが「鯉のぼり」を立てた。
 初めはまごいだけだったが、明治にひごい、昭和になってこごいが加わり今のような
 三尾セットになったという。
新潟市佐藤家の五月人形
 砂丘館の部屋に入ると正面に五月人形が2組飾られている。
 上段に鎧兜と矢屏風、下段中央に日神功(じんこう)皇后・武内宿弥(すくね)、
 下段左に鍾馗(しょうき)様、下段右に加藤清正公などなど。
 高砂と金太郎と乳母の人形もある。
 金太郎は2体で1体は鯉に乗り、もう1体は鯉を釣っている。
 わが家にも昔、金太郎が熊にまたがる人形があった。
 神功皇后と武内宿弥の解説があり、詳細は「古事記」「日本書紀」に二人の活躍が
 書かれていると注意書きがあった。
・番外:柏崎青海川の「こどもの時代館」
 昨年の中越沖地震で被害を受けた「こどもの時代館」がリニューアルして4月26日
 オープンした。
 「昭和40年代」をキーワードに、現在は30−40代となった大人たちがかつて
 親しんだおもちゃや雑貨、雑誌など1万点以上が展示されている。
孫二人がゴールデンウイークに帰省する。
端午の節句を祝い、紙で折られた兜は玄関に、お菓子のおまけに付いた小さな鯉のぼりは
駐車場に飾った。

孫が1000ピースパズルに挑戦 (イラストを模写)