人口240万割れの新潟県と越前浜集落

kanazu362008-05-16

“世紀明けゆく北西の・・・
県民250万 希望に燃えて・・・ここぞ民主の新潟県
1947年、新潟県が制作した新潟県民歌の一節だ。
当時の実際の人口は約242万。
1998年には249万を記録、250万の記録達成目前・・・。
249万を頂点に人口減少傾向が続く。
2008年4月1日現在239万4472人となり、1977年4月1日以来
31年ぶりに240万人の大台を割った。
国立社会保障・人口問題研究会(東京)の予測によると、新潟県は2015年には
228万人に落ち込み、宮城県に抜かれる見込み。
2030年には200万人を割り込む情勢だという。
総務省が5月4日発表した人口推計(4月1日現在)によると、15歳未満の子どもの数は
前年に比べ13万人減の1725万人と過去最少を更新し1982年から27年連続の減少。
新潟県の市町村数と2万人未満の自治
 平成の大合併で町村合併が進み2008年4月1日現在の市町村数は、
 20市7町4村の31。
 2008年3月31日現在の2万人未満の自治体は7町4村の11。
 阿賀町:14532人 ・聖篭町:13922人 田上町:13324人
 津南町:11440人 ・弥彦村:8662人 湯沢町:8495人
 関川村:6969人 ・出雲崎町:5338人 川口町:5241人
 刈羽村:4971人 ・粟島浦村:365人 
 1万人未満千人以上の町村は、3町3村の6で千人未満は粟島浦村の365人。
限界集落
 限界集落とは、65歳以上の高齢者が住民の半数以上を占め、共同体の維持が困難と
 なっている集落を指す。
 2006年の国土交通省の調査によれば、限界集落は全国に7878カ所あり、
 今後10年以内に423集落が消滅するといわれている。
 限界集落といわれる集落は、新潟県にはどれくらいあるのだろうか。
 佐渡市鷲崎で住職の傍ら写真家として活躍する梶井照陰(31)さんは、「限界集落
 と呼ばれる過疎地や消滅してしまう恐れのある村や町を地元佐渡を振り出しに、
 北は北海道から南は九州熊本まで全国12カ所を9カ月に渡り取材して歩き、
 現地の人々の生活とその実情をまとめ「限界集落」としてを出版した。
・越前浜発祥の地
 角田山宮前登山口を15分くらい登ると「越前浜発祥の地」と書かれた看板がある。
 右に折れ少し行くと神社がある。
 社(やしろ)右側の、「越前浜由来の碑」には、越前浜神明社と書かれ
 大正13年3月5日建立、石文には、「越前浜は、慶長7年越前国坂井郡三里浜から
 小川興三左衛門以下28人がこの地に入国」、大正13年3月烏子明神を神明社
 改称し村社とし宮平に建立。
 越前浜発祥の地は、今は人家もなく林の中に埋もれ社のみが往時を偲ばせる。
・越前浜集落を歩く
 角田山のふもとの角田地区は、越前浜・角田浜・五ケ浜の3集落で構成する。
 人口は約1550人、この10年間で約150人が減った。
 過疎化に歯止めがかからない。
 越前浜集落は、新潟市の中心地から約20キロの角田山のふもとにある。
 国道402線越前浜集落入り口には「池田満寿夫」と書かれた看板がある。
 月吠庵の庭を挟み土蔵を改良したギャラリーがある。
 入り口には「世界を挑発しつづけた池田満寿夫展」の看板がある。
 中に入った、経歴が書かれている。
 ・1934年満州奉天で生まれる
 ・1960年第2回等東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞受賞
 ・1977年小説「エーゲ海に捧ぐ」で第77回芥川賞賞受賞
 ・1997年3月逝去63歳
 絵と彫刻が展示されている。
 越前浜集落を歩いた。
 越前浜集落は、戦国の武将越前朝倉義景の家臣たちはが越前から逃れこの地に村を
 再興したといわれる。
 初めは「新浜」と呼び、やがて越前郷屋村(1623)と改称。
 越前浜村と呼称されたのはこれから250年余り後の明治に入ってからで、角田村に
 合併されるまで続く。
 2006年4月1日現在、249世帯数、人口848。
 人口構成は、65歳以上30.93% ・55歳以上64歳13.63%
 14歳以下13.75% ・15歳以上34歳17.18% ・35歳以上54歳24.51%。 
 越前小学校は明治8年創立で、平成20年4月1日現在の児童数は、1年9・2年6・
 3年11・4年7・5年9・6年11の53名。
 校庭で懐かしいものを見つけた。
 薪を背負い本を読む「二宮金次郎像」が校門脇に立っていた。
 集落の真ん中に西蒲警察越前浜駐在所と郵便局とJA角田支所と開業医がある。
 集落には神社と寺院がある。
 ・鳥之子神社
  越前浜の神明社は「鳥之子神社」と呼ばれている。
  越前浜の集落は越前国から移住した人(姉川の合戦で敗れた朝倉義景の残党ともいう)
  によって開かれたと伝えられている。
  移住のさい、荒天のため船が難破したが、岸から聞こえる鶏の声のおかげでこの浜辺に
  たどり着くことができた。
  以来、この地区では鶏をことのほか大切にしてきたという。
  鶏肉や卵を口にしない習慣も続いている。
  境内には「鳥」にかかわる奉納物が多い。
  拝殿前や境内には鳥にちなんだものが多く奉納されている。
 ・浄土真宗西遊寺
  山号はかつての朝倉義景ゆかりの寺、川尻山・西光寺と同じ「川尻山」とし寺の名前を
  「西遊寺」とした。
  西遊寺開基は、朝倉義景の実子愛王丸。
  以来19代続く名刹
 800人ほどが暮らすが集落を歩いても人影は見られない。
 掲示板に5月18日越前小学校大運動会のポスターが貼られており、校庭では児童が
 運動会の練習を行っていた。
 土蔵のある大きな木造家屋が並ぶ。
 建築店に立ち寄った。
 最近集落の空き家を借りて陶芸やガラス工芸や絵画などの作家が移り住む姿が目立つ
 という。
 「旦那も古家を買えに来たのかね」と。
 電柱に「売家」の張り紙がある。
 矢印をたよりに売り家を見た。
 土地275.24坪 ・建物木造茅葺平屋建て43.33坪 ・2250万円
 農家の古家がリホームされ売り出されていた。
テレビからは、2004年の新潟県中越地震で甚大な被害を受け全6世帯(15人)中
4世帯が65歳以上の高齢者といわれる「限界集落十日町市池谷の入山集落。
住民がNPO法人JEN(ジェン)の若者の協力を受け、道普請など村おこしの新しい
取り組みを始めている姿が紹介されていた。
東京農業大学が、上越市の谷浜桑取地区で「株式会社じょうえつ東京農大」を設立、
休耕田など10ヘクタールを借りて、減農薬減化学肥料で有機栽培作物を栽培するという。
新聞では、梶井照陰さんの「限界集落」を題材にした「村ひそかに」の連載が始まり、
限界集落」のその後の人々との暮らしが伝えられる。
若者が集落を去り、人の住まなくなった空き家が多く点在する集落が増えてゆく。
ああ、過疎が進む。
学校も閉校となる。
生まれ故郷の集落が消える。
懐かしい田舎の思い出は、記憶の中に残るだけか。
あぁ過疎が加速化し、人口が減る続ける新潟県

集落を歩く (イラストを模写)