孫の運動会と村上牛と北限の茶

kanazu362008-05-28

5月26日曇り空の中、近くの小学校から
元気な声が聞こえる。
今日は新通小学校の運動会だ。
県北の村上に転勤した娘から孫の5月24日小学校の
運動会が開催されると連絡がきた。
転校したばかりで友や知人が少ないので夫婦で応援に行くことにした。
当日の天候は曇りのち雨の予想。
雨ならば5月27日に延期。
24日は朝から曇りだが雨は降っていない。
新潟を7時に出発、国道345号線瀬波トンネル(平成15年7月4日開通・1045m)を
抜けると村上の市街地でアパートは近い。
8時過ぎにアパートに着いた。
二人の孫は、6年生と4年生。
兄ちゃんは小学校最後の運動会である。
・村上南小学校運動会 
 村上南小学校の沿革を見た。
 明治6年(1873)開校 
 昭和53年(1978)4月1日村上小学校と村上南小学校に分離
 平成15年(2003)11月3日130周年記念式典を施行
 平成20年(2008)4月7日入学式、64人の新入生が入校
 校舎正門に「最後まであきらめない!!連鶴スピリット!!」のスローガンが掲げられて
 いる。
 開会式は8時35分から始まっていた。
 会場に着いたのが9時30分。
 9時35分からの3・4年生の80m走は終わっており孫の走る姿は見れなかった。
 2人の孫に応援に来たと声をかけた。
 10時30分からの3・4年生のチャンスレースを見た。
 走ってタンバリンと縄跳びのとこれでくじを引き、玉の色により赤が5回・黄が10回・青が
 15回のタンバリンたたき、縄跳びをしてゴールする。 
 私たちが昔した障害物競走だ。
 孫はタンバリンたたきまではトップだったが、縄跳びで縄が足に絡み失敗し5位に。
 10時55分からの5・6年生の騎馬戦「勝利はわれらに!」が始まった。
 孫は赤組で出場、赤組は2勝1敗で勝った。
 13時05分からの6年生の組体操が行われたが孫は選ばれず参加しなかった。
 14時3・4年生の「力を合わせて引っ張ろう!」の綱引きが始まった。
 孫の赤組は0勝2敗で負けた。
 14時15分からの6年生のチャンスレース「運を天にまかせて」が始まった。
 こらも昔の障害物競走だ。
 孫は健闘し2位に。
 小学校最後の運動会で2位に入賞した孫はいい思い出になっただろう。
・夕食は家族団らんで村上牛のすき焼き
 村上牛とは、新潟県の北部 村上市岩船郡北蒲原郡黒川村で肥育された「にいがた
 和牛」のうち、肉質の更に優れたものを「にいがた和牛“村上牛”」と呼ぶ。
 飼養頭数約2000頭、東京都食肉卸売市場へ約1000頭、県内に100頭の
 年間出荷頭数の実績がある。
 アパートの近くのスパーで村上牛を買った。
 料理は、娘と妻が担当した。
 新潟を離れ、孫の住むアパートでの家族水入らずの村上牛のすき焼きは特別な味。
・みやげは北限の村上茶(新茶)と瀬波まんじゅう
 夕食準備中に村上の街をドライブし北限の村上茶と瀬波まんじゅうを買った。
 ・北限の村上茶(新茶) 
  村上茶のはじまり
  茶が、村上地方に初めて栽培されたのは元和6年(1620)徳川時代のはじめ、
  村上城主、堀丹後守の時代で大年寄徳光屋覚左衛門が当地方に主な産業のないことを
  憂い、この茶を産業として興すことを思いたち宇治伊勢から自費で茶の実を購入し
  播種したのが始まりといわれている。
  その後延宝2年(1674)当時の城主榊原政倫は茶畑に貢税を置いたことからも
  その発展ぶりがうかがえる。
  現在の栽培面積は約20ヘクタール、53戸のお茶農家の年間生産量は約2.5トン。
  村上茶は渋みが少なく、まろやかな味といわれる。
 ・瀬波まんじゅう  
  瀬波温泉は、明治37年に石油掘削中に熱湯が噴出したもので、豊富な湯量と温度
  (95℃前後)の熱さが自慢。
  温泉といえば饅頭がつきもの。
  瀬波温泉温泉にも有名な瀬波まんじゅう屋がある。
  元祖きむらやの「抹茶まんじゅう」と「紫蘇まんじゅう」を買った。
  抹茶まんじゅうは、本邦最北の茶処、抹茶を餡、皮に含ませた、いわばお茶漬の味。
  紫蘇まんじゅうは梅干を赤く染める紫蘇の葉の香りの味。
娘からの1本の電話が、私たち夫婦とってすばらしいプレゼントになった。
楽しかった孫の運動会も終わった。
孫の元気な顔を見て安心した。
次に孫と会えるのはいつか。

スタートよーい (イラストを模写)