水道週間と新津の清水巡り

kanazu362008-06-04

もう6月(水無月)、街中は衣替えした高校生のワイシャツ姿が
目立つ。
6月1日から水道週間がスタート、各地で水のイベントが
開催されている。
6月2日、気象庁関東甲信、東海、近畿の各地方が
梅雨入りしたと見られると発表した。
関東甲信は平年より6日早く、昨年より20日早い。
東海は平年より6日、近畿は4日早く、いずれも昨年より12日早い。
新潟県も梅雨入り間近、水にまつわる話題が新聞に。
6月1日の新聞に「碑は語る」で新津の「幸(さき)清水」が出ていた。
新津市の秋葉地区一帯に多くの清水があると聞き6月2日清水巡りに出かけた。
まずは「ひさかき清水」のある新津市田家の妙本寺を訪れた。
妙本寺住職岩橋順裕(37)さんは、の付近一帯は水脈が走っており近くに「幸清水」
「桜清水」「ひさかき清水」「昭和清水」などがあります」と。
当寺には「ひさかき清水」と「昭和清水」がありますと親切に案内してくれた。
・ひさかき清水(新津市田家・妙本寺地内)
 妙本寺の山門をくくらず右側の細い道を約50m進むとひさかき清水がある。
 住職は当寺の井戸です。
 ひさかき清水は田家(たい)地区にあるお寺用に利用されていたものを人口の増加により
 水不足に困っていた庄屋さんが寺に頼み込んで住民の飲料水に使わせてもらうように
 なったものが始まりとされています。 
 「ひさかき」とは樹木の名前で、この清水の脇に老樹があり、清水をおおっていたため、
 この名前がついていたといわれる。
・昭和清水(新津市田家・妙本寺境内)
 当寺にはもう一つ清水がありますと案内してくれた。
 妙本寺の山門をくぐり本堂左側の奥の一角に小屋が建ち「昭和清水」と書かれた
 看板がある。
 井戸にはふたがかぶされており、ふたをとると井戸には水がたかっていた。
 井戸の脇に大きなしゃくしが立て掛けられていた。
 住職は、「この水は今は呑めません」と。
・桜清水(新津市中村)
 桜清水は、新津から古津に通ずる中村地内の那加武良神社鳥居左側にある。
 今も水がこんこんと湧き出ている。
 井戸の脇に「桜清水」と書かれた案内板が立つ。
 昔、中村では飲み水に恵まれず、人々は大変不便な思いをしていました。
 ある年(弘安元年:1278)のこと、村のお宮が古くなったので、建てなおすことに
 なりました。
 ところが壁土が足りなくなり、この場所の土を使うことになりました。
 しばらく掘り続けたときです、中から水が湧き出てきました。
 しかも、飲んでみると冷たくてとてもおいしい水でした。
 村人たちは神様からの授けの水として「禊清水(みそぎしみず)」と名付け、大切に
 守り続けてきました。
 「桜清水」という名前は、この清水のそばに桜の大木があり毎年春に美しい花を咲かせて
 いたため、いつの頃からか、誰からともなくそう呼ばれるようになりました。
・幸清水(新津市秋葉1丁目)
 幸清水公園内に幸清水の井戸があった。
 井戸の脇に「幸清水」と書かれた石碑が建つ。
 案内板には、史跡幸清水(さきしみず)昭和50年12月2日新津市文化財に指定
 むかし、新津は水の質が悪く、そのため町民は飲料水の不足に悩み続けていた。
 かねてから、そのを悩みを救うために、水脈を探し続けたいた庄屋長井久左衛門は
 文化4年(1807)6月、ついにこの地に泉を発見、自費を以って付近を整備し、
 これを町民に自由に汲ませた。
 この清水は、昭和7年(1912)に上水道が完成するまでの約130年間、人々の
 生活を潤す幸の泉となったと書かれている。
 幸清水と命名したのは、京都の公卿花山院愛徳(よしのり)。
昔新津の街では、朝夕に、水桶をてんびん棒で担いで水を売る女衆の姿が見られ、
昭和の初めまでは水売りは、新津の風物詩になっていた。
今街にはペットボトルに入った良水が多く出回り簡単にスパーやコンビニで買える時代。
時の流れを感ずる。
世界のあちこちで水飢饉が叫ばれる中、蛇口をひねれば水が出る日本。
水道週間に、水のありがたさをもう一度見直そう・・・
清水めぐり (イラストを模写)