ありし日の福島潟と鎧潟展

kanazu362008-06-07

「ありし日の福島潟・鎧潟展」が新潟市豊栄博物館で
開催されている。
上越高田生まれの私は、福島潟や鎧潟のことはあまり
知らなかった。
鎧潟を知ったのは、昨年(2月21・22日)新川漁港(新潟市内野)から新川の始点
鎧潟排水機場(旧西川町)まで約30kmを歩き鎧潟排水機場公園を見学したときだ。
潟は現在干拓され美田となり、公園には「鎧潟干拓記念・魚魂の碑」等の記念碑が三基
建てられている。
5月31日「ありし日の福島潟・鎧潟“農具・狩猟具・漁具から”展」を見てきた。
会場に入ると正面に昔の漁法、福島潟の「ヨッモウ小屋」と鎧潟の「スダテ漁」の大きな
写真が飾られ、「ありし日の福島潟と鎧潟」のことが書かれている。
福島潟も鎧潟も昔から水上交通の要衝であり、増水時は調整池として、さらに、豊かな
自然資源を供給する場として重要な役割を果たしてきた。
農業の近代化をはかるため国営干拓され美田の生まれ変わった。
福島潟は169haの農地が造成され、遊水池として193haの湿地帯が残された。
鎧潟は全面開拓されたと。
農具・狩猟具・漁具などの展示品から潟を舞台に潟とともに暮らした人々の当時の
暮らしぶりが伝わる。
・福島潟周辺の道具
 ・ヤチゲタ:下駄状の台に、長さ23センチの割り竹を4本取り付けたカンジキのような形。
  ヨシを刈るときに使用した。
 ・キッソブネ:長さ182センチの田舟で、水田で肥料や刈り稲の運搬に使用した。
 ・フナツヅ(カゴ):フナなどの雑魚とり用のカゴで長さが47センチ。太田地区などの
  カゴ職人が製作販売していた。
 ・エビスキアミ 
 ・タマツヅとイケス:捕った雑魚などを入れた入れ物
 などなど。
・鎧潟周辺の道具(福島潟周辺では使われなかった道具)
 ・ハコカンジキ、ミカデカンジキ、カンジキ
  箱状や下駄状の台に、長さ45センチ程度の横木を3・4本取り付けたもの。
  稲刈り時など、水田の水位で使い分けた。
 ・コテンブネ:福島潟のキッソブネと同じ。舟を半分に切った形。
 ・トッコアミ:竹の円すい形の骨組みに網を回して作る大きなカブセアミ。
 ・フナタツ
 ・イケス:自家用の魚を入れて川に浮かべておく小型のイケス。長さは114センチ。
 などなど。
懐かしい道具などが並び、見ているだけで先人の知恵と工夫と苦労が伝わってくる。
・福島潟と鎧潟の国営干拓建設事業
 ・福島潟
  ・干拓前面積 434ha ・着工 昭和41年11月
  ・竣工 昭和51年3月 ・干拓面積 192ha ・造成農地 169ha
  ・潟残存水面 193ha ・総工費 23億8百50万円
 ・鎧潟
  ・干拓前面積 272.9ha ・着工 昭和33年8月
  ・竣工 昭和43年9月 ・干拓面積 272.9ha 
  ・造成農地 234,7ha ・潟残存水面 全面干拓 
  ・総工費 13億4千6百万円
4月27日新潟市主催の動く市政教室「水の流れと福島潟」に参加した。
「水の駅ビュー福島潟」の副館長から、福島潟が今の姿で残された話を聞いた。
福島潟は、当初全て干拓する予定だったが、工事が始まってから二度の水害に襲われた
際に福島潟の排水機能が見直されたことから工事が中断され潟が半分程度されたと。
「禍を転じて福となす」のことわざがある。
天が福島潟の自然を守った。
これからも福島潟の自然が守られ憩いの場として人々の心のやすらぎとなることを。

昔の潟の人たちは (イラストを模写)