連敗記録あれこれ

kanazu362008-06-24

米女子ゴルフツアーのウェグマンズ大会で初日68と
首位タイスタートの宮里藍選手。
米ツアー初優勝なるかとファンは、宮里選手の4日間の
一打一打に注目した。
2日目は68の136で3位タイ、3日目71の207で5位タイ、最終日は72で回り
通算9アンダーの279で今季最高の6位と惜しくも優勝を逸した。
米大リーグレッドソックス松坂大輔投手は、6月21日右肩痛から25日ぶりに
復帰しカージナルス戦に先発した。
7失点でメジャー最短の1回3分の0でKOされ負け投手となり開幕連勝は8で止まった。
競馬界、雌馬エリザベスクィーンが6月17日の姫路競馬のレースで破れ史上最多の
162連敗とテレビ・新聞で大きく報道された。
インターネットで過去の連敗記録などを調べた。
・162連敗雌馬エリザベスクィーン
 6月17日兵庫県姫路市の姫路競馬で地方競馬が開催され7歳雌馬エリザベスクィーン
 が、2着と惜敗史上最多の162連敗となった。
 これは、中央・地方競馬を通じた連敗記録を16年ぶりに更新する“連敗女王”という
 不名誉な記録の誕生となった。
 連敗馬といえば高知競馬のハルウララの113連敗が有名。
楽天野村克也監督がプロ野球通算最多敗戦
 楽天野村克也監督が6月18日、阪神との交流戦で1:8で敗れ、監督通算1454敗目を
 喫した。
 これまでの名将三原脩監督の記録1453敗を抜き歴代最多敗戦となった。
 通算1457勝は歴代5位で、1位は鶴岡一人監督の1773勝。
 試合後の村監督は、「これは不滅だろ。名を残した。汚名や。おれらしくていい。
 派手な記録は似合わない」と。
 通算最多敗戦は、監督なら誰にでも出来る記録ではなく名監督にしか出来ない名誉ある
 記録だと私は思うのだが・・・。
プロ野球権藤正利投手の28連敗
 プロ野球権藤正利投手(1934年5月1日生)は、1955年7月19日の広島戦
 から2年後の1957年6月2日の阪神戦までプロ野球記録の28連敗を喫した。
 1957年7月7日の巨人戦だ勝利し連敗を脱したがその後また11連敗した。
 通算成績は、通算登板試合719・117勝・154敗。
・大相撲序ノ口杉本翼力士の1勝41敗7休
 大相撲の世界で1勝41敗7休の成績で廃業した力士がいる。
 元鳴門部屋の序ノ口杉本翼力士だ。
 初土俵は平成18年3月場所、廃業は平成19年5月場所後?。
 序ノ口杉本力士を知ったのは、相撲ライター京須利敏さんが新聞に連載する「大相撲
 土俵のうちとそと」だった。
 1勝は相手力士の休場による不戦勝で、土俵上の勝負では未勝利だった。
 廃業は番付け表から名前がなくなり知った。
新潟県勢でセンバツ初勝利まで48年の歳月     
 春のセンバツで初代表校の出場から初勝利までの期間が最も長かったのは新潟県
 48年である。
 昭和33年(1958)の第30回大会に新潟県勢として新潟商が初出場、済々黌(熊本)
 に0:4と破れて以来、7度目の挑戦で平成18年(2006)の第78回大会に
 出場した日本文理が高崎商業(群馬)に4:3で勝ち新潟県勢悲願の初勝利を飾った。
 昭和33年といえば高校3年生のときで新潟商業の試合はラジオで聞いた記憶がある。
 平成18年の日本文理の試合はテレビで観戦した。
・番外:項羽と劉邦
 司馬遼太郎の大ベストセーラー「項羽と劉邦」は、劉邦漢帝国を樹立するまでの物語だ。
 上巻末尾に、この物語は「沛(はい)のごろつき上がりの劉邦が、楚の猛将項羽と天下を
 争って、百敗しつつもついに楚を破り漢帝国を樹立までをとおし、天下を制する “人望”
 とは何かをきわめつくした物語であると書かれている。
 “百敗しつつもついに楚を破り“の言葉に魅力を感ずる。
勝負の世界の連勝記録や連敗記録には様々なドラマがある。
日本経済新聞運動部編「敗因の研究・敗者は愚者か?」には、28の「敗れた者」の
物語が綴られている。
ビジネスマンが愛読する。
見出しを見るだけで読者を引きつける何かが・・・
「失敗は成功の基」や「禍を転じて福となす」のことわざがある。
「勝者よりも敗者から学ぶものが多い」と感ずるのは私だけか・・・

記録は・・・ (イラストを模写)