シリーズ藩物語「越後高田藩」がベスト セラーに

kanazu362008-06-25

NHK大河ドラマ天地人」ゆかりの地として沸く上越市高田。
上越市高田にある春日山城上杉謙信公の居城であった。
2007年の「風林火山」ではガクトが上杉謙信役を演じ、
2009年の「天地人」では阿部寛上杉謙信役を演ずる。
ふるさと越後高田藩を書いた「高田藩村山和夫著・現代書刊)」が、発売以来地元上越市
でベストセラーになっている。
ふるさと越後高田藩の昔を知るため6月21日購入した。
戦国時代上杉謙信公の居城であった春日山城は、規模の大きさでも全国屈指の名城と
いわれた。
・越後高田藩の変遷
 ・上杉家の会津移封に伴い秀吉の家臣・堀秀治が30万石で春日山城入った。
  堀家は直江津の地に福島城を築城し、春日山城を廃しここに移った。
 ・堀家のお家騒動で堀氏の改易後には、徳川家康の六男・松平忠輝が従来の川中島
  12万石に加え、越後の新領である63万石を領する75万石の太守として赴任。
 その後松平忠輝は慶長19年(1614年)に高田城を築城し、福嶋城を廃してここに
 移った。
 厳密な意味ではこれ以降が高田藩である。
 家康死後の元和2年(1616年)7月6日、秀忠の命により忠輝は改易される。
 ・徳川四天王筆頭であった酒井忠次の嫡男・酒井家次が上野国高崎藩より10万石で
  入る。
 ・松平忠昌松平光長統治時代25万9000石
  松平光長時代に越後騒動で改易。
 ・以後稲葉家(10万3000石)、戸田家(6万8000石)、松平(久松)家(5代・
  11万3000石)。
 ・榊原家(15万石)は、明治維新まで6代130年間続いた。
  榊原家の藩祖・榊原康政徳川四天王
  1871年(明治4)8月29日の廃藩置県で高田県誕生
  1871年(明治4)12月31日の府県統合で高田県は柏崎県に統合
  1873年(明治6)6月10日に柏崎県を廃し新潟県に合併
本を開いた。
驚いた、わが家に関する記事が2件も出ていた。
・第三章「高田藩の産業開発」
 ・大工、畳屋、建具屋、桶屋
  越後中将時代には、大工、畳屋、建具屋、桶屋・・・
  ・桶屋
   高田町においてはじめ桶屋は、桶屋町(仲町4)のみ集まっていたが、正徳2年
   (1712)には桶屋71人のうち、桶屋町居住は49人、残り22人は他町と
   なった。
   正徳5年(1715)には、藩に他国桶屋の城下入り込み禁止を認めさせ、仲間内
   に対しては、相互の競争を戒め、他所の桶屋との紛争を避けるなどの取り決めを
   行っている。
   榊原家入封の翌年、寛保2年(1742)には90軒の桶屋があった。
  子どもの頃(昭和20年代)、高田には桶屋が8軒あった。
  桶屋町に5軒(金津・金津・小森・中村・西山)、大町に1軒(山本)、北本町に1軒
  (池内)、東本町に1軒(山本)。
  今は桶屋町に1軒残るのみ。
  菩提寺大厳寺住職の話によれば、金津家の先祖は、福井城主松平家が福井から越後
  高田に移封の際、菩提寺大厳寺とともに檀家衆の一員として一緒に移住した桶職人の
  家系であると。
 菩提寺で金津家の過去帳を作成してもらった。
 仏壇に供えてある過去帳を開いた。
 過去帳の初めに、延享5年(1748)9月14日初代当主の戒名(惣誉教音信士)が
 書かれたいる。
 菩提寺の大厳寺本堂正面建物と横幕に「三つ葉葵」の紋が描かれている。
・第五章「高田城下の構造と生活風土」
 家中と町人町の中に“郷愁誘う金津桶屋”の記事を見つけた。
 金津家は桶屋である。間口三間、切妻造り、平入りで、屋根は現在鉄板葺きである。
 前面に雁木がある。間取りは、幅一間の通り庭を右側にとり、これに沿って表から店、
 茶の間、座敷の三室が並ぶ三間取りである。
 店は、桶職の作業場であり、製品の見本が並べられていた。
 店には天井が張ってあるが、茶の間は吹き抜けで、梁組みと屋根裏を見せる。
 建築年代は19世紀中ごろ(江戸時代の末)と推定される。
 一部に古材が入っている。
 座敷は、昭和2年(1927)に改造された。
生前父から「座敷は昭和2年の大雪でつぶれ建てなおした」と聞いた。
上越市に寄贈した建物(生家・仲町4)は、市が町屋として管理し一般公開している。 
何気なく読んだシリーズ藩物語「高田藩」の本から先祖のルーツなどを知ることができた。

越後高田藩は (イラストを模写)