8月4日プロ野球3選手思い出の記念の日に

kanazu362008-08-05

8月4日はプロ野球3選、中日山本昌広投手(42)・
オリックス清原和博選手・オリックス金子千尋投手に
とって記念の日となった。
・中日山本昌広投手(42)が200勝を達成
 8月4日ケーブルテレビで中日:巨人戦を観た。
 巨人が1回先頭の鈴木尚にツーベースヒットを許すと、ランナーを三塁に進められ、
 小笠原の犠飛で1点を先制。
 2回、1死三塁のピンチを相手のスクイズ失敗に助けられ0点に。
 味方が2回、デラロサがソロホームランを放ち同点に追いつく。
 3回には中村紀のタイムリーで逆転。
 5回にも井端のソロホームランやボークなどで3点を追加し山本昌の大記録達成を
 後押しした。
 9回はセーブ男岩瀬投手の登板かと思われたが、落合監督山本昌投手の続投を
 選んだ。
 大声援の中、9回のマウンドに立った山本昌投手は、鈴木尚をピッチャゴロ・高橋由に
 ライト前にヒットを打たれたが小笠原をセカンドゴロ・最後はラミレスをライトフライに
 打ち取り完投勝利で200勝を達成した。
 勝利の直後、心なしか目を赤くした山本昌は、ナインに胴上げされ喜びをかみしめた。
 200勝は2004年の工藤公康投手(当時巨人、現横浜)以来4年ぶり史上24人目。
 42歳11カ月の達成は、工藤投手(41歳3カ月)を抜いて史上最年長。
 試合後のヒーローインタビューでは「よくぞ自分がここまでこれたな、と思う」と感激。
 日大藤沢高(神奈川県)から1983年中日にドラフト5位で指名され入団。
 1988年ドジャースのキャンプで故アイク池原氏との出会いが運命を変えた。
 米留学で山本昌の代名詞となった「スクリューボール」を習得したからだ。
 中日の200勝投手といえば杉下茂投手を思い出す。
 215勝を挙げ「フォークの神様」と言われた杉下茂投手。
 中日の200勝投手「フォークの神様杉下茂」と「スクリューボールの代名詞山本昌広
 の名が野球史に刻まれる。
オリックス清原和博選手(41)が復帰後初安打
 左ひざ手術から今期の復活を目指していたオリックス清原選手。
 5月17日に二軍で実戦復帰したが5月に右ひじに痛みが出て再びリハビリを続けていた。
 7月9日、ウエスタン・リーグの広島戦に5番指名打者で先発出場し、第3打席目に
 センター前にヒットを打ち3打数1安打の成績を残した。 
 7月18日ウエスタン・リーグの中日戦の第3打席では左翼線二塁打を放った。
 PL学園で野球人生をスタートしたオリックス清原選手(41)と元パイレーツ桑田
 真澄氏(40)の二人。
 清原の依頼に桑田氏が快諾し、スカイマークスタジアムで“夢のKK対決”が実現した。
 昨年7月の左ひざ軟骨移植手術から再起した清原の1軍復帰を桑田氏が打撃投手で
 後押した。
 「真ん中高めの真っすぐ」で勝負を挑んだ桑田、清原は豪快な空振り三振に倒れた。
 8月3日の復帰1戦目のソフトバンク戦に7回代打で登場空振りの三振に倒れた。
 1軍戦出場は2006年の9月8日以来。
 8月4日の復帰2戦目のソフトバンク戦に7回1死一塁の場面で代打で登場。
 カウント1−3から左腕三瀬の137キロの真っすぐを中前へ運び、2006年9月
 2日ロッテ戦(京セラドーム大阪)以来、702日ぶりの1軍安打をマークした。
 清原選手の豪快な復帰初ホームランは何時見れるか。
オリックス金子千尋投手(25)が7月の月間最優秀選手
 4日セ・パ両リーグの7月の月間最優秀選手が発表された。
 パリーグの投手部門はオリックス金子千尋投手が初めて選ばれた。
 金子投手は三条市出身、長野商高・トヨタ自動車を経て2004年ドラフト自由枠で
 オリックスに入団。
 今年は春先から順調に白星を重ね8月4日現在7勝7敗。
 7月は4試合に登板4勝・防衛率1.38の成績で初の月間最優秀選手に選ばれた。
 「プロに入ってこんな賞をもらえるとは思っていなかった」と。
中日山本昌広投手・オリックス清原和博選手・オリックス金子千尋投手のプロ野球3選手、
8月4日は生涯忘れない思い出の記念の日に。

清原が打った (イラストを模写)