鬼瓦と天狗の面

kanazu362008-08-27

新潟市松浜の阿賀野川河口で25日夜、
阿賀野川ござれや花火大会」が開かれ、約4000発の
花火が晩夏の夜空を彩った。
鬼瓦と天狗の面の話題が新聞に。
8月23日、戦前に焼き庵地に帰郷した鬼瓦を見に旧安田町を訪ねた。
・戦前の鬼瓦
 旧安田町庵地は安田瓦の産地で有名。
 戦前の1930年代に作られた鬼瓦が、燕市の寺から生産地の庵地に帰郷した。
 鬼瓦は高さと幅が2.4mほどで、1932年に安地の「村久(むらきゅう)瓦工業」
 で焼かれたと推定される。
 鬼瓦は、燕市の専養寺に長年飾られていたが、落雷で破損したため2007年に取り
 外された。
 庵地の瓦職人斉藤慶和(33)さんが、「捨てるのは忍びない」と譲り受け修理した。
 鬼瓦は「魔よけ」とされるため、地元では、役目を終えた後にもう一度飾ることに
 異論が出た。
 しかし、戦前の貴重な品であることから、安田瓦協同組合が「江戸時代から続く産地の
 歴史をPRできる」と組合の建物裏に設置場所を確保した。
 現地を訪れた。
 小高い山の上に安田瓦協同組合の建物がありその裏手の小高い丘が整地され公園と
 なっている。
 公園の一画に鉄骨を組んだ高さ1.3mほどの台座の上に鬼瓦が飾り付けられていた。
 関係者によると、鬼は男女で対になっており、今回飾られたのは「女鬼」。
 一緒に取り外された「男鬼」は燕市の業者が保管しているという。
・番外:安田瓦づくりのバス停に対の鬼瓦が
 安田瓦協同組合の近くに阿賀野市(旧安田町)営バス庵地小路(丸三工業所前)
 バス停は安田瓦づくりの珍しいバス停である。
 バス停は今年5月に完成した。
 待合所は安田瓦がふんだんに使われ安田瓦独特の銀色に輝く鉄色に覆われている。
 待合所に続く飾り塀の色は土色。
 飾り塀には安田名物の「だしの風」がデザインされ、床の模様は阿賀野川の流れが
 イメージされている。
 飾り塀の前の小さな庭には、大きな鬼瓦が2体置かれている。
 写真を撮っていると丸三(まるみ)工業所の女事務員が出てきて、「この鬼瓦は当社が
 焼いたものです」と。
・番外:阿賀野川安田橋に鬼の飾り
 阿賀野川に安田橋が架り旧安田町と五泉市を結んでいる。
 安田橋の安田側の両端のたもとの台座に金棒を持ちあぐらをかいて座る鬼が飾られ橋を
 守っている。
 五泉側の両端のたもとの台座には飾りはない。
・謎の天狗面万願寺の阿賀野川に流れ着く  
 昨年11月末に旧新津市万願寺の阿賀野川に流れる小阿賀樋門で、ごみにまざって
 漂着している「天狗の面」が発見された。
 お面は、縦53センチ・横35センチの大きさで、花の高さは23センチ。
 朱塗りのほとんどがはげ落ちているものの、ほぼ原型をとどめている。
 昨年12月に調査した新潟県仏像調査会では、「大きさから寺や神社に飾られていた
 もので、明治以降のものだろう」と推測する。
 秋葉警察署で拾得物として保管されていたが、持ち主が見つからずにいた。
 このお面は、北方博物館で保管されることになった。
 北方博物館の伊藤家は「かって会津と交易を行うなど、阿賀野川とは切っても切れない
 関係。これも何かの縁でしょう。捨てられたのか、儀式として川に流したのか謎が多いが、
 阿賀野川を流れ下り、何かの縁で届いた“伊藤家へのメッセイージ”かもしれない。
 大切に保管したい」と。
話題の鬼瓦と天狗の面。
1932年に焼かれた鬼瓦は、阿賀野川右岸の生まれ故郷旧安田町庵地に帰郷した。     
阿賀野川左岸の万願寺に流れ着いた天狗の面は、旧横越村沢海の北方博物館に保管され
安住の地を見つけた。

鬼瓦を見上げる (イラストを模写)