雨の中旧斉藤家夏の別邸を見る

kanazu362008-08-28

新潟市西大畑の「旧斉藤家夏の別邸」が8月24日
一般公開されると知り見学した。
久しぶりに西大畑界隈を歩いた。
旧新潟刑務所跡が西大畑公園や新潟市美術館などに
なっている。
旧新潟刑務所跡地の西大畑公園裏口に赤レンガ造りの門がある。
脇の掲示板には「“旧刑務所通用門”この門は、旧刑務所がこの地に建っていた時
使用していた通用門を縮小したものです」と書かれている。
反対側は料亭「行形亭」の黒塀が小路に沿って続く。
行形亭の角の塀に「地獄極楽小路」と書かれた表示板がある。
小路をはさみ右が地獄で左が極楽。
「旧斉藤家夏の別邸」は行形亭の隣である。
・旧斉藤家夏の別邸
 一般公開を企画したのは「旧斉藤家夏の別邸の保存を願う会(代表小田良彦)」。
 最初で最後の一般公開かとささやかれる中での公開に雨の中多くの人が見学に
 訪れていた。
 入り口で「西大畑に残る希代の名園が存亡の危機を迎えています!」のパンフが
 手渡された。
 別荘は、明治から昭和初期にかけ鍵富家・白勢家と並ぶ新潟三大財閥と言われた
 斉藤喜十郎氏が大正7年(1918)に建てた総面積1330坪を誇る広大な別荘。
 作庭は大正6年(1917)から大正9年(1920)にかけて約3年間要し、作者は
 成田山新勝寺の庭園を手がけた高名な庭師松本幾次郎氏と言われる。
 順路は2階座敷の観月亭から池と庭木を眺めるコースから始まる。
 庭の池に映る月を楽しんだことから「観月亭」と名付けられ、昭和30年には日本棋院
 (囲碁)の本因坊戦の対局にも使われた。
 庭に出た。
 大きな石がある。
 江戸の伊達家の大名屋敷にあった13トンもある巨石が庭石として置かれている。
 石段を上がると強風で砂がえぐられ、根がむき出しになっている珍しい二本の根上り
 松が見られその脇に茶室「松鼓庵」が建つ。
 高台から大滝・小滝が心地よい水音を奏でながら池庭に流れ落ちる。
 庭のあちこちに石燈籠が置かれている。
 ボランテイアの人の「夏は涼しいが冬は寒くて住めませんよ」という言葉が印象的だ。
 出口では保存を願う会の人たいが、署名と募金を呼びかけていた。
資料によれば、旧斉藤家夏の別邸は戦後、大手建設会社加賀田組の創始者が購入した。
昭和20年代から50年以上もの間、維持に尽力されてきたが、加賀田組の経営難により
民間に売却された。
その後、資産管理会社は庭と建物の主要部の保全を条件に2008年春、競売を行ったが
残念ながら成立しなかった。
土地・建物合わせて約6・7億といわれる旧斉藤家夏の別邸。
旧斉藤家夏の別邸の保存を願う会では「民間に売却されると、マンションが建つ心配も
ある。
新潟の宝としてぜひ残したい」と。
新聞によれば、雨の中1489人の人が見学に訪れた。
一般公開に訪れた篠田昭新潟市長は25日の記者会見で「市としての対応はこれから
検討する。
新潟が湊町としていかににぎやかだったかという歴史の証人であり(個人的には)
残したい思いは強い」と述べた。
同じようなことが故郷上越市高田でも平成15年(2003)にあった。
上越市高田大町で江戸時代末期に建てられた今井染物屋が不動産会社に買い取られ壊し
跡地にマンション建設計画が進んだ。
地元町内会が、町屋保存を求めて上越市に陳情した。
運動は成功し今井染物屋は取り壊しを免れ建物と土地は市が管理し現在町家として
一般公開されている。
保存のきっかけは、平成15年(2003)12月13日江戸時代から続くわが家(生家)を
市に寄贈したことで木浦正幸上越市長は「町家と雁木と寺院群を結びつけ回遊できる形の
観光がPRできる」と購入を決めた。
現在上越市の観光パンフには「郷愁誘う旧金津憲太郎桶店・旧今井染物屋」として紹介
されている。
庭も建物もすばらしい新潟市の「旧斉藤家夏の別邸」にはどんな結末が・・・

観月亭から庭園を眺める (イラストを模写)