りんごと米に懸けた東北の3人の男

kanazu362008-09-09

味覚の秋・実りの秋、新潟県産の「豊水」や「幸水」の
出荷が始まった。
9月に入りサンつるがりんごや新米の越路早生が
スーパーの店頭に並ぶ。
りんごと米に懸けた3人の男の話題がテレビや雑誌に。
農薬や肥料を使わない、「自然農法」のりんご農家木村秋則
弘前りんごの始祖菊池楯衛(たてえ)・不耕起移植栽培で米を育てる岩澤信夫。
・りんごの無肥料・無農薬栽培に取り組む木村秋則
 7月29日、無肥料・無農薬栽培の実践者を招いた実地講習会が新潟市新通の
 茶マメ畑で開かれた。
 講師のりんご農家木村秋則さんは「堆肥も使わない栽培を試してみて」と参加者に
 呼び掛けた。
 青森県弘前市のリンゴ農家木村秋則(57歳)さんの軌跡がNHK2006年12月7日の
 プロフェッショナルで紹介された。
 青森県のりんご農家木村秋則はリンゴの自然栽培に行き詰まり、死に場所を求めて山に
 入った男が、ドングリの木を見て「山のドングリの木はなぜ実を付けるのか」と
 疑問を持ち、根元の土を掘り起こし栽培のヒントをつかんだ。
 苦節8年、農薬も肥料も堆肥も使わずに自然農法で「奇跡のリンゴ作り」に成功した。
 リンゴ農家に養子に入り大規模リンゴ農家を夢見た。
 農薬の皮膚被害に悩み前途多難なとき出合った、1冊の本が人生を変えた。
 本の名は、「自然農法」である。
 周囲から農薬も肥料も堆肥も使わない農法は不可能と言われる中での門出であった。
 成功までの苦節8年の軌跡は、農薬や肥料を使わない、木村さんのリンゴ作りの哲学は、
 「私の目が農薬であり肥料である」「木を育てない。手助けするだけ」「木の育ちやすい
 環境を作るだけ」8年間と言う茨の道のりには、世間から「バカだ」「カマド消し
 (カマドの火が消えるとその家はなくなる)」といわれる中、「壁を乗り越え、一つ乗り越え、
 また一つ乗り越え、階段を一歩一歩登って行ったことがリンゴの実りにつながった」と。
 物を見て疑問を感じ、その解決に取り組む努力が大きな夢に花を咲かせることになる。
 山のドングリの実を見て「非凡と凡人の差は何か」・・・・・
弘前りんごの始祖菊池楯衛(たてえ)
 2008年9月号「大人の休日倶楽部(ジパング)“歴史の陰にこの人あり”で
 弘前りんごの始祖菊池楯衛が紹介されている。
 菊池楯衛・1846年(弘化3)―1918年(大正7):弘前市生。
 江戸末期、弘前藩の士族として生まれる。
 県庁の山林係として函館に赴任そこで「西洋りんご」と出合った。
 和りんごと違い大粒で長期の冷蔵保存ができる西洋りんごに魅せられる。
 役人を辞し七重勧業試験場に入所、約5カ月間りんご栽培技術を学び帰郷した。
 地元に戻り私財をなげうち数万本の苗木を購入、「揚接木(あげつぎき)」という画期
 的な高効率の接木法を指導した。
 こうした尽力が徐々に実りりんご栽培が弘前に定着した。
 私欲に走らず、りんご作りを故郷の産業にしょうと奔走した菊池は、弘前りんごの
 始祖として弘前の人々に慕われている。
・米の不耕起移植栽培に取り組む岩澤信夫  
 千葉県成田生まれの農業技術指導者岩澤信夫(76歳)さんの「稲作革命・耕さない
 田んぼ」が2008年9月3日NHKの「知るを楽しむ・人生の歩き方」で紹介された。
 農家の長男として家を継ぐが、家業を両親と妻に任せて果物や野菜の栽培法研究に
 没頭。
 熊本のスイカと千葉のスイカの値段が倍も違う。
 熊本スイカの出荷が7月と早いからだ。
 岩澤さんは6月に出荷できればと二重のビニールのハウスを考案し6月の出荷に成功、
 その後、メロン、イチゴの栽培などで実績を上げる。
 米との出合いは、1980年の東北地方を襲った冷害だった。
 田んぼを視察したとき、同じ田んぼでありながら実が入らず青立ちしている稲と実が
 たわわに実り頭をたれている稲を見つけた。
 頭をたれている稲は、お年寄りが昔ながらの水苗代の方法で植えた成苗。
 青立ちしている稲は、耕作機械で植えた稚苗。
 哺乳瓶で育てられた稚苗は冷害に弱い。
 スパルタ方式で鍛えられた成苗は固い土と戦い根を太く長く伸ばしている。
 そんな時、福岡正信著「自然農法・わら一本の革命」という本に出合い「これだ」と。
 岩澤は21年間耕作しない田んぼで稲を作る。
 テレビからは、耕作しない田んぼの固い土地で育った稲の根と秋から春の間に4・5回も
 耕され柔らかい田んぼで育った稲の根が映し出されていた。
 根の太さと長さがぜんぜん違う。
 耕作しない田んぼの稲は、たくましく根も太く長い。
 試行錯誤のうえ1985年に「不耕起移植栽培」を提唱。
 各地で農家への技術指導を行うなどの実績が認められ、2008年度の吉川英治文化賞
 受賞。
 著書「不耕起でよみがえる」(創森社)がある。
 岩澤さんは、田を耕さないことで、土が固くなり、生えた稲は野生化し、たわわに実る
 稲を作った。
 「稲は耕さなくとも実る」の言葉が強烈に心に響く。
偶然か、りんご作りの木村さんも米作りの岩澤さんも「自然農法」との本の出合が、その後の
運命を変えた。
りんごと米に懸けた東北の3人の男の生き様に感動した。

もう新米が (イラストを模写)