本堂改修工事完了の種月寺を三度参拝

kanazu362008-09-11

今日11日は、近くの寺尾地蔵尊開基100周年記念大祭日だ。
寺尾のお地蔵さまは「有難や寺尾の山の松の中 御生れ給えし 
南無地蔵尊」と歌われ親しまれる。
国の重要文化財の旧岩室村石瀬の種月寺本堂の改修工事が
8月31日完了し自由に見学できると知り9月3日見学に訪れた。
種月寺の見学(参拝)はこれで三度目である。
・福知山種月寺概略(参詣のしおりから抜粋)
 福知山種月寺は、曹洞宗の寺院で道元の法流にあたる南英謙宗が、文安3年(1446)
 越後の守護上杉房朝の援助によって建立した。
 その後、この地の豪族小国氏の外護を受けて栄え、つねに多くの雲水たちが、修行に
 励んでいた。
 近世期には、4反歩の境内のほか、3町ほどの畑が寺領として免許されていた。
 現在の本堂は、元禄12年(1699)の改築でおよそ290年前の建物、山門は、
 安政4年(1857)の建築である。
 末寺も多く、西蒲原・佐渡・三島・三条・柏崎・山形県福島県にわたって24カ寺を有する。
 本堂は、平成元年9月に国の重要文化財に指定された。
・三度目の見学(2008年9月3日)
 現在の本堂は、元禄12年(1699)の改築でおよそ290年前の建物、山門は、
 安政4年(1857)の建築である。
 本堂の屋根を解体してかやぶき屋根などの修復工事は新潟市の田中組が請け負い、
 今年の8月31日完了し、300年前の建立当時の姿が再現した。
 建立当時の姿に再現された種月寺は自由に見学ができると知り9月3日見学した。
 山門入り口に「ハチが飛んでいます。山門を通らないで下さい。・・・」と書かれた
 看板が出ている。
 本堂の修復工事は完了したが、参堂の石段はまだ職人が出て工事中であった。
 本堂前の廊下の左右に改修工事中の作業経過を写した173枚の写真が掲示されて
 いる。
 「本堂には立ち入らないで下さい」と張り紙が貼ってある。
 廊下から本堂を眺めた。
 参道脇には「銀木犀の老木」が。
・二度目の見学(2008年1月30日)
 住職の寒河江真爾(69)さんと工事担当者の許可を得て修復工事中の本堂を見学した。
 本堂の床下にもぐり大工が土台の修繕作業をしていた。
 工事担当者が「本堂の屋根の工事現場も見ますか」と。 
 見ることにした。
 屋根は、シートで覆われ下からは中の様子は分からない。
 ヘルメットをかぶり細い足場の階段を上り屋根に出た。
 かやぶきの屋根は、カヤがはぎ取られ屋根の骨格だけが三角錐のようになって目の前に
 そびえる。
 骨組みの修復工事が終ればカヤをふき、8月にはお色直しを済ませた立派な300年前
 のかやぶき屋根の本堂が再び姿を見せる。
 看板には「国・新潟県新潟市補助事業」「工事名:重要文化財種月寺本堂保存修理」
 「工事期間:平成19年2月14日から平成20年8月31日」「施工:田中組」と
 書かれている。
・一度目の見学(2007年11月21日)
 旧村松町蛭野地区は、ギンナンの産地で集落一帯がイチョウの葉で黄金色に包まれる
 ことから「黄金の里」呼ばれる。
 樹齢200年から600年のイチョウの木が約100本ある。
 黄金の里の近くの滝谷に曹洞宗越後四大道場一つ慈光寺がある。
 参拝していると旧岩室村石瀬の種月寺も越後四大道場一つだと聞かされた。
 帰りに種月寺を参拝した。
 しおりによれば、種月寺を創建した南英謙宗(なんえいけんしゅう:1387年―
 1459年)の師匠は、傑堂能勝(けつどうのうしょう:1355年―1427年)。
 傑堂は、楠正成の三男正儀の子で正能(能勝)。
 能勝を開基とする寺は、慈光寺・耕山寺(常陸太田市)・洞春院(鶴岡市)など8カ寺ある。
種月寺では、毎月21日に日帰りの「座禅会」を開催している。
座禅は、座禅専用の丸い座布団「坐蒲」を敷き、足を組み、胸を張り背筋を伸ばす。
一回の休憩を入れて1時間半ただひたすらに座り瞑想にふける。
一度参加してみたい。

瞑想にふける (イラストを模写)