次回の開催は米寿と古希の節目に

kanazu362008-09-21

恩師を迎え2年ぶりの小学校同級会が9月13日、
故郷のスキー発祥の地上越市高田の金谷山で開催された。
「孫が古稀娘が米寿で私は茶寿」という言葉が、新聞の広告に。
60歳「還暦」60年で十千十二支の組み合わせが一回りする
         ことから
70歳「古稀」唐の詩人杜甫の詩「人生七十古稀なり」にちなんで
77歳「喜寿」喜の草体が七十七と読まれることから
80歳「傘寿」傘の略字が八十と読まれることから
88歳「米寿」米の字が八・十・八と分解できることから
90歳「卒寿」卒の通用異体字が九十と読まれることから
99歳「白寿」百の字から一を引くと白なることから
108歳「茶寿」茶の字の冠を二十、その下の部を米という字に見立て二十と八十八を
          合わせると108になることから
111歳「皇寿」皇の字を白・一・十一に分解、合わせると111になることから
と。
・小学校同級会の開催
 53年ぶりに開催した小学校同級会から2年が経過した。
 昭和28年3月に大手町小学校を卒業した63名の若者は68歳になった。
 配布された名簿を見た。
 生存者は41名・故人11名・所在不明者11名。
 同級会には、男女各8名と恩師の17名が参加した。
 恩師からすばらしいプレゼントが参加者の渡された。
 「追憶・滝沢組」と書かれた1冊の本。
・プレゼント「追憶・滝沢組」
 表紙をはぐると「いまから ここから」と書かれている。
 思い出の写真も数枚織り込まれている。
 「平成18年9月9日の同級会記念写真」「ある日の授業風景」「楽しい春季大運動会」
 「谷浜海岸での海水浴」などなど。
 追憶文には「日ごと成長していった頃の63名の子」と題し、63名全員のことが
 書かれている。
 書き出しは、“今日は9月13日、9月生まれは5人・・・”で始まる。
 回顧談話は13ページにわたる手書きである。
 手書き文をパソコンに編成しなおしてほしいとの要望を、編集を手助けした地元の仲間 
 たちが手書きのほうが温かみがあると・・・
 追憶を一気に読んだ。
 読んで涙が。
 “私はこの6月25日、お棺に納まった○○君の顔を拝み「ご苦労さんでした」と最後の
 お別れをしたとき、どうしても涙が止まりませんでした」。
 文章の中から60年前の友との思い出が走馬灯のように次から次えと脳裏を駆け巡る。
 末尾は「なやみはつきない 生きているんだもの」と。
「追憶・滝沢組」を読みながら、それぞれが60年前の滝沢組の教室にタイムスリップし
「あのときは・そのときは・・・」と思い出に花が咲く。
プレゼントされた「追憶・滝沢組」は、私にとってすばらしい宝物となった。
次回の小学校同級会の開催は、恩師の米寿(88)と生徒の古稀(70)と重なる節目の
2年後の平成22年と決まった。

昔の面影が今も (イラストを模写)