昭和20年代の故郷高田が写真で甦る

kanazu362008-10-12

「ふるさとは遠くにありて思うもの」(室生犀星)。
10月7日の新聞に戦後の高田の人々の暮らしを収めた
写真集「懐かしのわが街上越」が刊行されたと紹介されていた。
幼い日の故郷の写真にどこか哀愁が・・・。
早速購入し一気に読んだ。
帯封には「秘蔵写真100枚余で昭和20年代から40年代の上越の素顔を再現」
「貧しかったが心豊かだった在り日の姿を今に伝える写真」と書かれている。
終戦直後の昭和20年代から40年代までの懐かしい約100枚の写真には、タイトルと
撮影年月日が書かれている
写真集は、オート三輪車が走る本町3丁目の風景(昭和25年11月)で始まり
桜まつりの打ち上げ花火の夜景(昭和28年4月17日)で終わる。
写真から当時の記憶が甦った。
・表紙は夏休みの臨海学校で谷浜に向かう寺町3丁目の子どもたち(昭和20年代)
 高田駅の2番線、ホームからは日枝神社(お山王さん)の社殿と森が見える。
・いずも屋百貨店前:本町5丁目(昭和20年代)
 市内唯一の百貨店。
 道路はまだ未舗装で人々の履物は下駄。
 洋服を着た主婦が乳母車を押す姿が懐かしい。
・紙芝居(昭和20年代)
 娯楽の少なかった戦後、子どもたちの唯一の楽しみは紙芝居。
 拍子木の音が聞こえると紙芝居屋の登場だ。
 割り箸で水飴をこね、水飴の色の白さを競った。
 一番白い人が1等で3等まで賞品が出た。
 賞品は塩昆布。
高田駅前広場(昭和25年5月22日)
 遠足で郷津へ出発する小学1年生。
 脇には大きな「セントラルシネマ」の看板塔が立つ。
 この大看板の上に登って遊んだ。
 車の往来も少なく広場で三角野球をした。
・交通安全の横断幕が掲げられた本町3丁目(昭和25年11月)
 本町通りをオート三輪車が走る。
 「人は右側・車馬は左側」と書かれた横断幕が道路に掲げられている。
 自動車は珍しくまだまだ牛馬が荷車を引く時代、牛馬が時々道路に糞を落とす。
 鈴木紙店(文房具)と書かれた看板が懐かしい。
・高田の銀座:本町5丁目(昭和26年9月2日)
 東京の銀座にあやかり本町5丁目通りを「高田の銀座」よ呼んだ。
 買い物をするとマッチがサービスされた。
 マッチ箱に書かれた「高」「田」「銀」「座」の4枚がそろうと景品と交換が出来た。 
・高田市制40周年山車行列:仲町4丁目(昭和26年9月日)
 懐かしいわが町内の山車が。
 大きな灯籠には「予備隊誘致」の文字が見える。
 大町5丁目の山車は牛が引いている。
・初売りで賑わういずも屋百貨店前:本町5丁目(昭和27年1月1日)
 大きなリックを背負い買い物をする主婦。
 初売りといえば高校3年生の正月、年末年始の大売り出しの抽選所のアルバイトをした。
 客は福引券と引き換えにくじを引く。
 くじに書かれた景品を渡す、物資の少ない時代景品は日用品が中心だった。
北陸線谷浜駅(昭和27年7月27日)
 夏休みに入ると谷浜海水浴場で臨海学校が開かれた。
 高田から汽車に乗り谷浜駅へ。
 駅裏の谷浜小学校が臨時の休憩場所だった。
 線路を渡り歩いて海水浴場へ。
・雪引き(昭和28年2月)
 昭和28年は大雪だったのだろう。
 町内の人たちが共同で屋根より高く積み上げられた雪をソリに乗せ運び儀明川に捨てた。
・お花見会場の堀端に立ち並ぶ食堂(昭和28年4月17日)
 春は高田公園の花見で開けた。
 公園内に多くの店が立ち並びお堀端に食堂が並んだ。
 堀ではボートに乗る人が。
警察予備隊の高田駐屯(昭和28年3月28日)
 松本の警察予備隊自衛隊の前身)が高田に駐屯するため高田駅前から南城町の駐屯地
 まで市内を行進した。
 駅に近かった私は行進を見学した。
・高田商工まつり山車の行列(昭和28年8月7日)
 トラックがキャラクターやアニメなどで飾られた山車に変身。
 大きなクジラを模した山車は、町内にある会社高田魚市場(高田一印)の山車だ。
・味の品川:本町5丁目(昭和37年7月)
 終戦直後に開店した食堂「味の品川」。
 食糧難の時代で、店内はいつも賑わっていた。
 同級生の父が経営する店でよく遊びに行った。
 おやつ代わりに出た支那ソバ(当時はラーメンと言わなかった)が懐かしい。
 おやつの支那ソバには肉ではなく海苔が上がっていた。
・国道18号線(昭和37年11月1日)
 国道18号線の建設は何時から始まったのだろうか。
 この道は、日本海直江津から太平洋の静岡市までつながっていると教えられた。
 国道18号線の建設に伴い高田市と清水市の中学校生徒交換会」が昭和29年2月19日
 に始まったと記憶している。
 国道の工事が終わり開通前の18号線を自転車で東本町から脇野田まで走った。
 当時の道路はアスファルト舗装ではなくコンクリート舗装だったと記憶している。 
などなど。
1枚1枚の写真からは、幼い頃の思い出が走馬灯のように次から次へと甦る。
写真と思い出が重なる。
物資のなかった終戦直後の時代、街並みや人々の暮らしぶりなど多くの写真を撮り続けた
故岡観妙(長遠寺住職・1990年83歳で死去・寺町3)と出版に協力された長男の岡観浄
長遠寺住職・63)さんに感謝したい。
写真集は、私にとって幼い日の故郷を甦らせてくれる宝物の1冊だ。
「ふるさとは遠くにありて思うもの」・・・。

この写真には・・・ (イラストを模写)