新潟市内の歌詞の石碑めぐり
地方紙新潟日報の10月12日の「碑は語る」は、
犬童球渓(きゅうけい)の「更け行く秋の空 ・・・」の「旅愁」。
歌碑は新潟中央高校の前庭に建てられていると知り
13日新潟中央高校を訪れた。
正面玄関に「旅愁の歌碑をご覧になりたい方は受付簿に記入して下さい」と張り紙が
あった。
これまで新潟市内を歩きいろいろなの歌詞の石碑と出合った。
・犬童球渓の「旅愁」(2008・10・12:新潟中央高校の前庭)
更け行く秋の夜 旅の空の わびしき思いに 一人悩む こいしや故郷 懐かし父母
と歌われる「旅愁」。
石碑には、人々に愛唱されている「旅愁」の歌は犬童球渓(1879−1943)先生が
新潟県立新潟高等女学校(現新潟中央高校)に奉職中作詞したものである。
熊本県球摩郡藍田村(現人吉市)出身、東京音楽学校を卒業後明治39年1月より
同41年3月まで新潟県立新潟高等女学校に教鞭をとられた。
明治39年「故郷の廃家」とともに作詞したのが、この「旅愁」である。
と書かれている。
石碑は、平成2年11月17日新潟中央高等学校創立90周年に建てられた。
・北原白秋の「砂山」(2006・10・9:新潟市西海岸公園)
新潟市西海岸公園の松林の一角に「砂山」の歌碑が建っている。
海は荒海 向こうは佐渡よ ・・・
「砂山」は北原白秋が歌詞した。
中山晋平と山田耕作の二人が曲を付着けている。
同じ詩に異なる曲がついている歌は他にもあるが、砂山は二曲とも有名である。
中山晋平曲を歌うか山田耕筰曲を歌うかは、人それぞれ。
北原白秋が大正12年(1923)6月、新潟での童謡音楽界で小学生の前で講演、
新潟の童謡を作ることを約束した。
会が終わり、先生たちと砂浜に出かけ、荒海に浮かんだ佐渡島、暗い荒磯づたいに
家路を急ぐ子供たちの様子を見て詩想をねったのだという。
雑誌「小学女生」9月号で中山晋平の作曲譜とともに発表。
昭和2年(1927)になって今度は山田耕筰が符曲。
歌碑の前に立つと「向こうは佐渡よ」と歌のように佐渡が望める。
・美川憲一が歌う「新潟ブルース」(2008・4・13:萬代橋西詰め)
国指定重要文化財の萬代橋は新潟のシンボル。
橋の西詰めに、美川憲一が歌う「新潟ブルース」の歌碑がある
作詞:山岸一二三・水沢圭吾・ 作曲:山岸英樹・中川博之・歌唱:美川憲一
思い出の夜は 霧が深かった 今日も霧が降る 万代橋よ ・・・
新潟ブルースは、美川憲一さんと同時期(40年前)に古都清乃さんも歌っていることを
知った(別の曲)。
作詞:吉川静夫・ 作曲:吉田正・編曲寺岡真三・歌唱:古都清乃
ああ 新潟 新潟ブルース
・美川憲一とロス・プリモスが歌う「信濃川慕情」(2006・11・5:やすらぎ堤)
信濃川やすらぎ堤に歌詞が書かれた3本の石柱が建つ。
作詞:山岸一二三・水沢圭吾・ 作曲:山岸英樹 歌唱:美川憲一とロス・プリモス
1本目の石柱には「町に流れる長い川」、2本目の石柱には「思い出させる長い川」、
3本目の石柱には「遠くへ流れる長い川」と信濃川慕情の歌詞が書かれている。
・美空ひばりが歌う「越後獅子の唄」(2007・6・23:旧月潟村月潟駅ホーム)
月潟駅ホーム(廃線)に「越後獅子の唄」の歌碑が建つ。
作詞:西条八十 作曲:万城目正 歌唱:美空ひばり
月潟村は、角兵衛獅子の発祥の地。
江戸では越後獅子のことを、角兵衛獅子と呼んでいた。
月潟村には、角兵衛地蔵尊が祀られている。
6月24日は地蔵菩薩の命日で、この日は、全国の巡業から帰った舞子が境内で
角兵衛獅子の芸能を競演奉納して守護尊の尊霊を慰めた。
現在は地元の小中学生の児童が、月潟まつりに鎮守白山神社境内で「角兵衛獅子の舞」
を奉納する。
昭和25年の映画「とんぼ返り道中」の中で、ひばりが「越後獅子の唄」を歌ったことで
角兵衛獅子が広く世間に知られた。
その後、映画「鞍馬天狗・角兵衛獅子」でひばりが杉作を演じ、ひばりが歌った
「越後獅子の唄」が大ヒットした。
歌碑の脇にある、赤い石のボタンを押した。
「笛に浮かれて 逆立ちすれば・・・・」のメロデーが流れひばりの声が聞こえる。
昭和26年にひばりが歌う「角兵衛獅子の唄」には、
「生まれて 父の顔も知らず 恋しい母の名も知らぬ・・・ わたしゃ越後へいつ帰る」
と角兵衛獅子を踊る子どもたちの、苦労と悲しみと故郷への懐かしい思い出が歌詞に。
町を散策、懐かしい歌詞の石碑に出合うも楽し。
次はどんな歌詞の石碑に出合うだろうか。
歌詞の石碑を見つめる (イラストを模写)