新潟市内の歌詞の石碑めぐり

kanazu362008-10-16

地方紙新潟日報の10月12日の「碑は語る」は、
犬童球渓(きゅうけい)の「更け行く秋の空 ・・・」の「旅愁」。
歌碑は新潟中央高校の前庭に建てられていると知り
13日新潟中央高校を訪れた。
正面玄関に「旅愁の歌碑をご覧になりたい方は受付簿に記入して下さい」と張り紙が
あった。
これまで新潟市内を歩きいろいろなの歌詞の石碑と出合った。
・犬童球渓の「旅愁」(2008・10・12:新潟中央高校の前庭)
 更け行く秋の夜 旅の空の わびしき思いに 一人悩む こいしや故郷 懐かし父母
 と歌われる「旅愁」。
 石碑には、人々に愛唱されている「旅愁」の歌は犬童球渓(1879−1943)先生が
 新潟県立新潟高等女学校(現新潟中央高校)に奉職中作詞したものである。
 熊本県球摩郡藍田村(現人吉市)出身、東京音楽学校を卒業後明治39年1月より
 同41年3月まで新潟県立新潟高等女学校に教鞭をとられた。
 明治39年「故郷の廃家」とともに作詞したのが、この「旅愁」である。
 と書かれている。
 石碑は、平成2年11月17日新潟中央高等学校創立90周年に建てられた。
北原白秋の「砂山」(2006・10・9:新潟市西海岸公園)
 新潟市西海岸公園の松林の一角に「砂山」の歌碑が建っている。
 海は荒海 向こうは佐渡よ ・・・
 「砂山」は北原白秋が歌詞した。
 中山晋平山田耕作の二人が曲を付着けている。
 同じ詩に異なる曲がついている歌は他にもあるが、砂山は二曲とも有名である。
 中山晋平曲を歌うか山田耕筰曲を歌うかは、人それぞれ。
 北原白秋が大正12年(1923)6月、新潟での童謡音楽界で小学生の前で講演、
 新潟の童謡を作ることを約束した。
 会が終わり、先生たちと砂浜に出かけ、荒海に浮かんだ佐渡島、暗い荒磯づたいに
 家路を急ぐ子供たちの様子を見て詩想をねったのだという。
 雑誌「小学女生」9月号で中山晋平の作曲譜とともに発表。
 昭和2年(1927)になって今度は山田耕筰が符曲。
 歌碑の前に立つと「向こうは佐渡よ」と歌のように佐渡が望める。
美川憲一が歌う「新潟ブルース」(2008・4・13:萬代橋西詰め)
 国指定重要文化財萬代橋は新潟のシンボル。
 橋の西詰めに、美川憲一が歌う「新潟ブルース」の歌碑がある
 作詞:山岸一二三・水沢圭吾・ 作曲:山岸英樹・中川博之・歌唱:美川憲一
 思い出の夜は 霧が深かった 今日も霧が降る 万代橋よ ・・・
 新潟ブルースは、美川憲一さんと同時期(40年前)に古都清乃さんも歌っていることを
 知った(別の曲)。
 作詞:吉川静夫・ 作曲:吉田正・編曲寺岡真三・歌唱:古都清乃
 ああ 新潟 新潟ブルース
美川憲一ロス・プリモスが歌う「信濃川慕情」(2006・11・5:やすらぎ堤)
 信濃川やすらぎ堤に歌詞が書かれた3本の石柱が建つ。
 作詞:山岸一二三・水沢圭吾・ 作曲:山岸英樹 歌唱:美川憲一ロス・プリモス
 1本目の石柱には「町に流れる長い川」、2本目の石柱には「思い出させる長い川」、
 3本目の石柱には「遠くへ流れる長い川」と信濃川慕情の歌詞が書かれている。
美空ひばりが歌う「越後獅子の唄」(2007・6・23:旧月潟村月潟駅ホーム)
 月潟駅ホーム(廃線)に「越後獅子の唄」の歌碑が建つ。
 作詞:西条八十 作曲:万城目正 歌唱:美空ひばり
 月潟村は、角兵衛獅子の発祥の地。
 江戸では越後獅子のことを、角兵衛獅子と呼んでいた。
 月潟村には、角兵衛地蔵尊が祀られている。
 6月24日は地蔵菩薩の命日で、この日は、全国の巡業から帰った舞子が境内で
 角兵衛獅子の芸能を競演奉納して守護尊の尊霊を慰めた。
 現在は地元の小中学生の児童が、月潟まつりに鎮守白山神社境内で「角兵衛獅子の舞」
 を奉納する。
 昭和25年の映画「とんぼ返り道中」の中で、ひばりが「越後獅子の唄」を歌ったことで
 角兵衛獅子が広く世間に知られた。
 その後、映画「鞍馬天狗・角兵衛獅子」でひばりが杉作を演じ、ひばりが歌った
 「越後獅子の唄」が大ヒットした。
 歌碑の脇にある、赤い石のボタンを押した。
 「笛に浮かれて 逆立ちすれば・・・・」のメロデーが流れひばりの声が聞こえる。
 昭和26年にひばりが歌う「角兵衛獅子の唄」には、
 「生まれて 父の顔も知らず 恋しい母の名も知らぬ・・・ わたしゃ越後へいつ帰る」
 と角兵衛獅子を踊る子どもたちの、苦労と悲しみと故郷への懐かしい思い出が歌詞に。
町を散策、懐かしい歌詞の石碑に出合うも楽し。
次はどんな歌詞の石碑に出合うだろうか。

歌詞の石碑を見つめる (イラストを模写)