40年ぶりに津川の街を歩く

kanazu362008-11-09

地方紙新潟日報の11月9日の1面トップ記事は、
「放鳥トキ関川で確認」。
環境省新潟県は11月8日、9月25日に佐渡市で試験放鳥
されたトキ1羽を新潟県関川村で発見、確認したと発表した。
トキが本州で野生の状態で確認されたのは1970年に石川県で捕獲されて以来、
38年ぶり。
11月2日、旧津川町の街中で「第9回狐の里がえり市」が開催される聞き40年ぶりに
津川を訪ね街を歩いた。
津川町は江戸時代会津藩領の西の玄関口の川港として栄えた。
狐の嫁入り屋敷
 館内では、狐火をテーマとした映像や、毎年行われる「つがわ狐の嫁入り行列」の様子
 を約30分の1で再現した狐の嫁入り行列や日本全国の狐面や狐人形などが展示されて
 いる。
 2階大広間から眼下に広がる麒麟山と阿賀野川の眺望がすばらしい。
 大広間からは太陽の光線でカラス窓に幻想的な景色が映し出される。
 正面のカラス窓には麒麟山と平行して山並みが続く。
 右横のカラス窓を見るとは麒麟山の左側に連なる山並みが、麒麟山の前方に映し
 出される。
・津川代官所
 狐の嫁入り屋敷の敷地内に「津川代官所跡」と書かれた石碑が建つ。
 津川は中世期には麒麟山に城を構えた芦名氏の一族が支配していたが、嘉永四年
 (1627)に廃城となり、その後は代官所がおかれた。
 現在の狐の嫁入り屋敷の場所が代官所跡。
佛光山善光寺
 山門の上には鐘楼があり左右に仁王が鎮座する。
 山門をくぐると正面に本堂が、左に古峯神社が祀られている。
・雁木発祥の地(横町)
 横町の1角に「雁木発祥の地」と書かれた木柱が立つ。
 説明書に「慶長15年(1610)津川大火復興の際、津川城主岡半兵衛重政により家々の
 玄関先の土間の部分のにひさしをかけ雁木がつくられました。
 津川では雁木を「とんぼ」と呼んでいます」と。
・旧津川警察署跡
 40年前津川街を歩いたとき街中に鉄筋コンクリート二階建ての津川警察署があったと
 記憶していたが今はない。
 町の人に尋ねると新しい警察署は平成5年9月に国道49号線へ新築移転し、旧津川
 警察署跡地は、狐の嫁入り屋敷の駐車場となっていると。
・狐の里がえり
 毎年5月3日「つがわ狐の嫁入り行列」が開催され多くの人で賑わう。
 秋11月は「つがわ狐の里がえり市」が開催される。
 会場の仲町・横町の商店街の道路に市が立つ。
 午前11時半、大きな荷物を背負った着物姿の花婿(雄狐)と花嫁(雌狐)が津川の街に
 姿を現し里帰りした。
 商店街のそれぞれの店先で里帰りを報告する。
 「子狐はまだか」と沿道から声がかかる。
 津川警察署の男女の警察官がペアーで「振り込め詐欺に注意」と書かれたのぼり旗を
 持って沿道の見物客に注意を呼びかける。
講道館四天王西郷四郎の出身地石碑 
 国道49号線の津川町役場前の交差点のかたわらに「山嵐 西郷四郎の出身地」と
 書かれた石碑がある。
 石碑は昭和63年(1988)6月に建てられた。
 西郷四郎は、講道館四天王の一人で富田常雄の小説「姿三四郎」のデルと言われる。
 阿賀町西郷四郎研究会機関紙「北州(平成20年7月19日)」に、
 阿賀町津川が生んだ柔道家西郷四郎の遺骨が平成19年晩秋、故郷に帰ってきた。
 四郎は広島県尾道市で死去した後、長崎市の妻、チカの実家の菩提寺・大光寺に
 葬られ、南国の地で眠っていました。
 「自分が亡くなったら生家・志田家の菩提寺である津川の正法寺に分骨してほしい」と
 遺言。
 四郎の遺言が没後85年を経て実現。
 遺骨は平成19年11月23日志田家の菩提寺正法寺納骨された。と書かれている。
阿賀町商工観光課が発行するパンプレットの「津川町散策コース」は、
JR津川駅狐の嫁入り屋敷―津川城跡―原町(山崎麹屋あたり)―横町(とんぼ通り)―
住吉神社琴平神社―JR津川駅の約7キロ、2時間30分コース。
40年ぶりに歩く津川の街。
記憶の中に40年前の津川の街が甦る。

街を歩く (イラストを模写)