會津八一の石碑めぐりウオーキング

kanazu362008-11-22

昨11月21日は會津八一の命日(昭和31年11月21日死去)。
新潟市中央区役所は21日、「第2回會津八一の散歩道」と題し
會津八一(秋艸道人)の石碑めぐりウオーキングを開催した。
当日は、みぞれ混じりの寒い日だったが62人が参加した。
参加者は、護国神社から瑞光寺までの約5.5キロのウオーキングに挑戦した。
會津八一生誕の碑(新潟市古町・昭和61年建)
 明治14年8月1日、新潟市の繁華街古町通5番町に生まれ、明治39年に早稲田大学
 卒業すると、有恒学舎(旧新潟県中頚城郡板倉町)に英語教師として赴任した。
 生誕の地に「新潟の浜にて」の歌碑が建つ。
會津八一記念館と「学規」(新潟市西船見町)
 館長は、八一が学生に好んで書いて与えた「学規(がくき)」というものがある。
 是非新潟の学校の生徒にも教え広めたいと資料が配られ参加者全員が、
 一、ふかくこの生を愛すべし
 一、かへりみて己を知るべし
 一、学芸を以て性を養ふべし
 一、日々新面目あるべし
 と唱和した。
 入り口表面に「学規」の額が掲げられている。
會津八一の歌碑(新潟市西海岸公園内・平成5年秋建)
 松林の中に「風定まりて 花・・・」の歌碑が建つ。
會津八一終焉之地と歌碑(新潟市西大畑)
 北方文化博物館新潟分館の庭には會津八一の歌碑「かすみたつ はまのまさこを ・・・」
 が建っている。
 新潟分館は、出雲崎町尼瀬の西山油田の掘削によって巨万の富を得た長岡の
 清水常作氏が明治28年(1895)に別宅として建設したもの。
 清水常作氏の逝去後、明治末期に六代伊藤文吉が新潟別邸として取得した。
 八一は、昭和21年7月25日から逝去する昭和31年11月21日まで伊藤文吉の
 新潟別邸に居住した。
會津八一の墓と歌碑(新潟市西堀通・瑞光寺)
 墓は、一周忌に瑞光寺に建てられた。
 墓の真正面に「ふるさとの ふるえのやなぎの ・・・」の歌碑が建つ(平成元年6月建)。 
石碑めぐりの途中、會津八一とゆかりのある大阪屋(菓子店)と淺川園(茶店)で休憩、
銘菓とお茶が振舞われた。
會津八一の石碑めぐりウオーキングは、會津八一墓所瑞光寺で終わった。
瑞光寺山門入り口に11月21日午後1時半から「秋艸道人忌」開催の看板が出ていた。

「学規」の唱和 (イラストを模写)