大河ドラマ天地人「御館の乱」ゆかりの地
今日3月15日の大河ドラマ天地人は「御館の乱」だ。
謙信が後継者を決めないまま急死した。
景勝と影虎の二人の養子が上杉家の跡目争いをめぐって戦った
のが「御館の乱」だ。
物語は、景勝と影虎両軍のにらみ合いがしばし続いた後・1発の銃声が春日山に響く・・・。
景勝は春日山城を影虎は御館を本拠地として戦った。
越後の武将も景勝派と影虎派に分かれて戦い、景勝が勝利し上杉家を相続した。
「御館の乱」ゆかりの地、春日山城と御館と鮫ケ尾城。
春日山城跡と御館跡は小学校の遠足で行ったことがあるが鮫ケ尾城跡はまだ行った
ことがない。
・春日山城(上越市:大塚直吉著:春日山城とその支城群から抜粋)
戦国の名将上杉謙信の居城で別名鉢ケ峰城。
標高180mの春日山に築かれた山城。
城としての範囲は、東西2.5キロ・南北2.5キロで点在する遺構は60万平方メートル
以上の面積におよんでいる。
けわしい尾根や急斜面を削り、大小200カ所以上の削平地(屋敷など)が階段状に連結
され、さらに数10カ所の切堀、堅堀や土塁の構築など、きわめて規模が大きい。
山頂にあった大井戸は今でも記憶に残る。
・御館(上越市)
御館は上杉謙信が1555年から1558年ころ関東管領・上杉憲政のために建てたと
され、謙信が政庁として使ったとされる。
御館は、外郭は東西約300m・堀で囲まれた主郭は120m四方以上もあったと
言われる。
上越市が1964年から66年にかけて行った御館跡の発掘調査で、陶磁器類やべっ甲の
くしや真ちゅうのかんざしや丸くてつぶれた弾丸が出土した。
現在はその一部が御館公園になっている。
・鮫ケ尾城(妙高市)
鮫ヶ尾城(さめがおじょう)は、妙高市にかつて存在した上杉家配下の城で国の史跡。
築城年は分かっていないが、永正から天正年間に上杉氏(長尾氏)による北国街道の
防御を兼ねた街道整備の一環として、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城
ないし大規模改修がなされたと伝わる。
天正7年(1579)に御館から敗走した上杉景虎がこの城に逃れたが、城主堀江宗親の
裏切りに遭い自刃した悲劇の城として伝えられる。
この城も慶長3年(1598)の上杉氏の会津転封に伴い廃止されたとみられる。
地元妙高市では景虎公を追慕する催し物を例年行っている。
最近では、謙信の跡目争い「御館の乱」で敗れ、妙高市の鮫ケ尾城で自害した悲運の
武将長尾景虎の生涯を太鼓で表現した「景虎太鼓」も作られた。
・番外:故大塚直吉遺作集「春日山城とその支城群」が再出版
上杉謙信の居城・春日山城をはじめ上越地域の山城の絵図を多く描いた故大塚直吉さ
んの遺作集「春日山城とその支城群」が9年ぶりに再出版される。
謙信に魅せられ故郷の山城を知るため9年前の初版本(平成12年3月21日刊)を
買つた。
本を広げるたびに故郷の懐かしい山々と山城が目の前に。
「御館の乱」で敗れ自害した悲運の武将長尾景虎の終焉の地、鮫ケ尾城を訪ねてみたい。
謙信の春日山城は (イラストを模写)