赤塚の豪農の館「中原邸」の一般公開と佐潟のイベント

kanazu362009-04-17

4月7日の新聞に、新潟市が同市中央区西大畑にある
「旧斉藤家の夏の別邸」を、現在所有する市内の会社から
4億7000万円で購入する方針であると。
旧斉藤家の夏の別邸は、新潟三大財閥といわれた豪商・斉藤
喜十郎家が1918年に建てた歴史的建造物。
12日、新潟市西区赤塚の豪農の館「中原邸」の一般公開と合わせ同邸宅近くの佐潟
イベントが開催されたので見学してきた。
豪農の館「中原邸」の一般公開
 資料によれば中原家の家紋は「投網の紋」。
 先祖が投網を投げたところ網に仏像がかかったとかで、漁業や水運業(船を使った商売)
 で財を成したというところから家紋にしたと。
 江戸時代には、この近辺を通る際、まわりに大名が宿泊できるなかったため、時々臨時に
 大名が宿泊するようになった。
 江戸末期(1845年)中原文蔵の子として中原藤蔵久成が生まれた。
 久成は幕府に献金を行い、その功績として名字帯刀を許された。
 久成は乳の潟という潟を開拓した。
 開発された新田が現在の藤蔵新田。
 明治初期ころの中原邸は、敷地全体で3342坪だったが現在は約4000坪の敷地。
 表門(大正時代)から敷地内に入った。
 右手に「明治天皇赤塚行在所」と書かれたの石碑が建つ。
 戦前までは表門の左側に行在所の石碑と高札が置かれていたが、戦後アメリカ軍が
 来る前に石碑を敷地内に埋めて隠した。
 その後、現在の場所に設置された。
 母屋入口脇に大正時代に利用された人力車がある。
 中に入ると「帳場」「上段の間」「二の間」「三の間(鶴の間:すべてのふすまに鶴が
 描かれている)」がある。
 上段の間は明治天皇が座った場所で、部屋に同行した土方久元が書いた「明治天皇
 御小憩所旧跡」の額が掲げられている。
 入口では「赤塚・中原邸保存会」の人たちが会員を募集していた。
佐潟でイベント    
 佐潟では、中原邸の一般公開に併せ「佐潟桜まつり」を開催した。
 ・探鳥会 ・桜の鑑賞会 ・人力車の運行 ・潟舟での潟巡り
  などなど。
  人力車は、佐潟橋から芝生広場までの往復。
  潟舟での潟巡りは約15分ほどで乗り場に「佐潟ワイズユースクラブ・潟舟体験乗船」
  のぼり旗が立てられている。
 人力車や潟舟は人気が有り多くの人が乗っていた。
「旧斉藤家の夏の別邸」の保存がほぼ決まった。
赤塚の豪農の館「中原邸」の保存に向けた取り組みはこれから。

家紋が「投網の紋」とは珍しい (イラストを模写)