田植えとはさ木

kanazu362009-05-15

近郷の田んぼから元気な小学生の声が聞こえる。
児童が学校田で苗を植えているのだ。
小学生の田植え姿を見て、昔祖母から聞いた捨てられた苗を
拾い荒れ田に植えたという二宮金次郎の話を思い出した。
田植えの終わった田んぼも秋になれば穫り入れが行われ稲ははさ木に架けられる。
5月11日田んぼではほとんど見られなくなったはさ木めぐりに出かけた。
二宮金次郎銅像
 本棚にある小説二宮金次郎童門冬二著:上・下)を開いた。
 捨てられた苗を拾い荒れ田に植えたという話は「苗の命」に書かれていた。
 天明7年(1787)小田原市の裕福な農家に生まれ安政3年(1856)70歳で死去。
 生まれた頃は裕福だっが、川の氾濫で田畑を失い、14歳で父を16歳で母を亡くし
 親戚の叔父の家に預けられた。
 そして勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に再興した二宮金次郎
 戦前は「勤労:一生懸命働く」・「分度:身の丈に応じた消費をする」・「推譲:余った利益を
 他人に譲る」の報徳思想は、人間の精神的な支柱としてほとんどの小学校の校庭に
 「薪を背負い本を読む」姿の二宮金次郎銅像が建てられた。
 懐かしい像は、越前小学校(旧巻町越前浜:明治8年創立)の校門脇に立っていた。
 閉校となった浦浜校(旧巻町五ケ浜:明治11年峰岡村付属五ケ校として開学・昭和
 53年3月20日閉校)の校庭には二宮金次郎の像はなく台座のみが残っていた。
 トヨタグループ創業者の豊田佐吉は、報徳思想を「勤労」「感謝」「奉仕」と読み替え、
 その精神は「豊田綱領」として代々受け継がれてきた。
 トヨタグループの豊田自動織機は今年4月、小田原市報徳二宮神社から金次郎の石像
 を譲り受け、研修施設の中庭に設置した。
・学校田の田植え
 5月7日茨曽根小学校(新潟市南区)で5年生13人と笠木小学校(新潟市西区)で
 全児童54人が地元農家らの手ほどきを受けながら学校田で田植えに挑戦する姿が新聞
 に出ていた。
・はさ木
 ・夏井のはさ木(旧岩室村夏井)
  水車小屋を模したポンプ小屋脇の看板に説明が書かれている。
  日本一の米どころ越後平野を古くから特徴づけてきた「はさ木」。
  かっては刈り取った黄金の稲を身にまといながらあぜ道の両側に金屏風を並べ立てた
  様な光景を見せていました。
  農業の機械化・近代化が進んだ今「はさ木」はその役目を終えようとしています。
  しかし、時としてはさ木は、私たちに雪や雲や霧といった四季の移ろいの中で輝きを
  見せてくれます。
  はさ木と平野を醸し出す美しい情景を、すこしでも後世に残せていけたらと思います。
  ・学名 トネリコ(モクセイ科) 別名 サトトネリコ、タモ
  ・俗名 タモギ、ハザギ(稲架木) ・保存本数 約600本
  ・別途 刈り取った稲をはさ木にかけて乾した
  平成元年8月 岩室温泉観光協会
 ・門田のはさ木(旧中之口村門田)
  秋の風物詩門田ハザ並木が、かつての農村風景のおもかげを後世に伝える。
  道路両側の新緑のハザ並木路はドライバーの心を癒し和ます。
  刈り取った稲をかけて乾燥させる多段式ハザ木は昔は大事な農業用施設でした。
  機械化とともに伐採が進みましたが、地元の強い要望により保存することになった。
 ・満願寺のはさ木(旧新津市満願寺
  満願寺のはさ木並木は約1キロも続く。
  途中高速道路下のガード壁に、新津市内の中学生美術部の生徒の原画「はさ木並木の
  春秋」の絵が描かれている。
  はさ木並木の始点と終点に標柱が立つ。
  「この稲架木(はさき)並木は、昭和18年から20年にかけて同地区の水田を区画整理
  したとき、関係農家26軒が協力して移植したものです。
  新津市の農村風物詩になっており全国各地から多くの人が訪れます。
  (新津市文化財:昭和57年2月17日指定)
  近くで農作業をしていた農家の人が「はさ木は枯れると新しく植え替えて大切に保存
  しています。昨日はさ木の脇の田んぼで田植えのイベントがありましたよ」と。
  イベント会場の田んぼには「お米づくり体験教室“昔ながらのお米づくり”〜農業体
  験田〜新潟市秋葉区産業振興課・JA新津さつき」と書かれた看板がありのぼり旗が風に
  なびいていた。
  磐越自動車道を走り「460新津阿賀野13出口1km」と書かれた標識の道路付近の
  左右の田んぼの中に満願寺のはさ木並木が見える。
学校田で元気に苗を植える児童たち。
二宮金次郎」や「はさ木」を知っている子は何人いるだろうか。
小学生の田植え姿に「捨てられた苗」という子どものころ祖母から教えられた懐かしい
言葉を思い出した。

児童が学校田に苗を植える (イラストを模写)