松と巨木めぐり
アカ松と巨木の話題が新聞に。
新発田城跡公園の「アカ松の救命大作戦」と長岡河井継之助
邸宅跡に「号“蒼龍窟”由来のアカ松の移植」。
5月22日新発田市と長岡市を訪ねアカ松を見、県内の巨木
めぐりをした。
・アカ松の救命大作戦(新発田市・城跡公園:5月22日)
新発田城跡公園の中央にそびえる樹齢150年以上といわれる「アカ松」。
2年ほど前から枝葉が赤く枯れ始めた。
新発田市では「地下水位の上昇で、水に浸った根が腐ったのが原因では」と。
5月20日、根をかさ上げして地下水に触れないようにするためクレーン車2台で
木を持ち上げ、土を厚く盛って植え直す“外科手術”が行われ1mほどかさ上げした。
22日公園を訪れると作業員二人が梯子をかけ木の上で作業していた。
・号「蒼龍窟」由来のアカ松の移植(長岡市長町・長岡河井継之助邸宅跡:5月22日)
長岡市の幕末の英雄河井継之助の邸宅跡は現在「河井継之助記念館」となっている。
同館では、継之助の号(ペンネーム)「蒼龍窟(そうりゅうくつ)」の由来とされる邸宅
の松を復活させようと企画。
邸内の庭にはかって二本の松があつた。
継之助は戊辰戦争で官軍に敗れ敗走の途中福島県只見町で亡くなった。
このたび終焉の地、福島県只見町から「アカ松」2本が贈られ5月20日邸内に移植
された。
22日記念館を訪れ庭に出てみると移植された松の脇に「只見町・長岡市友好記念樹・
平成21年5月20日」と書かれた看板が立てれれていた。
・国上寺の弘法大師五鈷掛の松(旧分水町国上・国上寺:5月29日)
鈷(こ)とは、仏具の一。修法(ずほう)などのとき、煩悩(ぼんのう)を打ち砕き、悪魔を
払う意味で手に持つ:金剛杵(こんごうしょ)。
国上寺の境内に枯れた松の大木が保存されている。
看板に「“弘法大師五鈷掛の松”弘法大師が中国の途次三鈷と五鈷を投げられ、三鈷は
高野山にかかり、五鈷が当山(国上寺)のこの木にかかり真言道場となりました」と
書かれている。
真言宗(豊山派)雲高山国上寺は和銅2年(709)創建。
国上寺では、観光客や企業の研修向けに、僧侶修行の体験メニュー設けている。
毎月最終土曜日には個人参加の座禅会も開いている。
・巨木めぐり
・寺泊田頭の大銀杏(旧寺泊町田頭・福道神社:5月29日)
田頭集落のはずれの高台に福道神社がある。
赤い鳥居をくぐり石段を登り境内に入ると左側に大木がそびえる。
「田頭の大銀杏」と書かれた石碑に、
・町指定文化財 ・通称:育児神樹 ・樹種:壱葉雌樹
・周囲:30尺(訳注9.1m、実測7.4m)
・高さ:350尺(訳注106m誇張であろう、実際32m)
・凡その樹齢:千年以上
と書かれ、裏に樹幹に垂れ下がる乳柱を煎じて飲めばたちまち霊験を得たという
「育児神樹の伝説」も書かれている。
・柏崎鵜川神社の大ケヤキ(柏崎市新道・鵜川神社:5月23日)
鵜川神社は柏崎市に宮場町と新道の2か所あった。
国の天然記念物に指定されている大ケヤキは新道の鵜川神社。
・樹齢約1000年 ・根まわり約14m ・目通り約11.5m ・高さ約20m
地上約3m付近で大きな4本の枝に分かれている。直立した主柱の上の部分は現在枯
れて腐食してなくなっている。
調査によれが全国のケヤキの中でその大きさは第8位にランクされる。
昭和22年10月、昭和天皇が新潟県を巡行したおりこの大ケヤキをご覧になった。
と看板に書かれている。
大ケヤキには、中村集落の人たちが編んだしめ縄が幹にくくりつけられている。
・大郷のサルスベリ(旧白根市大郷・吉田芳男宅:5月24日)
吉田芳男宅の庭に樹齢約350年新潟市指定の天然記念物のサルスベリの木がある。
看板には「サルスベリは中国原産のミツハギ科、落葉高木で、赤い花が長く咲き続ける
ことから別名“百日紅”ともいう。
・樹齢約350年・樹高11m ・幹周1.87m
大郷地区の渋川家(大郷村名主)の先祖書によると「慶長3年加賀の国(石川県)から
先祖五右衛門(小柳村郷士)が溝口家に従って開村し、吉田家の先祖もその一族として
移住したと伝えられている。
吉田家は、先祖代々「紺屋」という屋号を持ち、百日紅の花や葉から染料を作りだしたと
いわれることから、このサルスベリは、そのころに植栽されたものと推定される」
と書かれている。
新緑の越後路を「松と巨木めぐり」で往時を偲んだ。
この大ケヤキが樹齢1000年 (イラストを模写)