良寛和尚と有願和尚

kanazu362009-06-15

6月20日南魚沼市の市民会館で第26回全国良寛
南魚沼大会が開催される。
良寛と親交のあった「有願和尚遺墨展」が三条市の市歴史
民俗産業資料館で開催されていると知り6月5日観てきた。
良寛禅師墓碑(隆泉寺)と法要
 旧和島村島崎は良寛禅師終焉の地であり、木村家菩提寺隆泉寺本堂の裏手に良寛禅師
 墓碑がある。
 隆泉寺参道左側に右手に編み笠を持ち左手に鉢を持つ托鉢姿の良寛の立像が、参拝者
 を出迎える。
 6月6日隆泉寺で「良寛禅師墓前法要」が行われた。
 「良寛禅師墓碑」は天保4年3月建てられ、「托鉢良寛像」は昭和38年11月建てられた。
・円通庵境内の有願和尚と良寛和尚像(旧白根市新飯田)
 「有願さんと良寛さん像」平成21年3月:植村脩作
 有願和尚没後二百年を記念し地域の人たちや「あかねの里づくり協議会」の協力で
 像が建立された。
 像には「親交をあたためる有願さんと良寛さん」と書かれている。
 円通庵に通ずる有願小路と庵小路の入口2カ所の石柱の上に小さな有願和尚像が建つ。
・有願和尚遺墨展
 ・有願和尚
  有願和尚(1738から1808)は、元文3年」(1738)代官島村(現三条市)の
  庄屋・田澤孫右衛門の長男として生まれた。
  得度の師は巻町仁箇(現新潟市仁箇)万福寺9世・悦厳素忻和尚。
  青年期に江戸、群馬、千葉、岡山、姫路などを行脚し、天明年間(1781〜1788)の
  はじめに帰国し、後に燕の万能寺の6世住職になり、晩年は旧白根市新飯田の円通庵
  で過ごし、子どもたちに読み書きを教え「有願(うがん)」さんと呼ばれ親しまれたという。
  良寛(1758から1831)さんとの交流も言い伝えられ、良寛さんの生き方にも多大なる
  影響を与えたとも云われている。
 ・有願和尚遺墨展
  会場には三条・燕両市に伝わる14作品が展示されている。
  14作品の書・画は観る人を圧倒する。
  ・人物図画賛 ・狂歌 ・十牛図屏風 ・耘耕不休乃図 ・達磨図画賛
  ・鉄拐仙人図画賛 ・盤虎図 ・襖字 龍一字 ・十牛図序文 
  などなど。
良寛出雲崎村(現出雲崎町)の名主(橘屋)・山本左門泰雄の長男として生まれた。
有願は代官島村(現三条市)の庄屋・田澤孫右衛門の長男として生まれた。
共に名主・庄屋の長男に生まれ僧の道を歩む。
中ノ口川を挟み両和尚が親交を温めた地、分水町と新飯田村(現新潟市)。
五合庵(旧分水町)や隆泉寺や円通庵を訪れ良寛和尚と有願和尚を偲んでみては・・・

円通庵の「有願和尚・良寛和尚」像を見る (イラストを模写)