剣岳登山と剣岳点の記

kanazu362009-06-26

2007年10月1日、妻がツアーで剣岳登山に参加した時、
剣山荘で香川照之さんと並んでと撮った記念写真が部屋に
飾られている。
浅野忠信香川照之主演の「剣岳点の記」が6月20日公開され
6月24日夫婦で観てきた。
剣岳登山(2007年10月1・2日)
 妻は、山の友人と剣岳登山ツアーに参加した。
 山荘は「剣岳点の記」のロケに来ていた一行と偶然同じだった。
 思い出にと記念写真を頼むと快く「OK」が出た。
 カメラマンが、背後のポスターの「剣岳点の記」というの文字が入ると写真は映えるといい
 肩を組んだポーズから文字を真ん中に挟んだポーズに変更した。
 翌日はあいにくの雨で剣岳山頂への初登頂をあきらめ一服剣で引き返した。
 思い出の記念写真と浅野忠信(柴崎芳太郎)・香川照之(宇治長次郎)の写っている
 映画ポスターの写真を合成して写真を作った。
剣岳点の記
 新田次郎原作の「剣岳点の記」のロケが始まったのが2007年9月中旬から。
 第1次ロケは、剣岳など立山連峰に入り約50日間実施された。
 第2次ロケは、2008年3月から4カ月をかけが実施された。
 映画は2008年末に完成した。 
 妻が剣山荘でロケに来ていた香川照之さんと記念写真を撮ったというので早速「剣岳点の
 記」の本を購入した。
 書き出しは2人の男、柴崎芳太郎と小島烏水の出会いから始まる。
 「八甲田山死の彷徨」の書き出しも2人の男、福島泰蔵大尉と神成文吉大尉の出会いから
 始ったと記憶している。
 ポスターには「誰かが行かねば、道はできない」「明治40年、日本地図完成のために命を
 賭けた、“前人未踏”」の物語と書かれている。
 木村大作監督は「50年の映画人生を懸けた作品」「見た感想は人それぞれだが、、何かを
 感じ取ってもらえるはず。ぜひ映画館で見てほしい」と。
 本から一部を抜粋した。
弘法大師が草鞋(わらじ)6000足(3000足ともいわれる)を費やしても登れなかった山 
 ・修験者が「私の師が死ぬ折、もし剣岳へ登るならば雪を背負って登り、ば雪を背負って
  帰れ」と云い残して死んだ
 ・老人は「修験者の大先輩快天と加賀藩の武士増崎藤左衛門が登頂している」と
 ・「山岳会の新潟県支部も昨年の秋、剣岳の下見に入ったそうです」
  山岳会の新潟県支部が物語りに登場するとは・・・
 ・剣岳登頂に成功・・・山頂で「剣の穂先」と「錫杖の頭」を発見
  「剣岳登頂は至上命令」であったのに陸地測量部幹部の態度は冷たい。
  「初登頂でないということになれば、わざわざ発表するほどのことはない」
 「泣く子と地頭には勝てない」ということわざがある。
 当時の陸地測量部幹部は地頭か・・・
 本の最後に「剣岳山頂で発見された“錫杖の頭”と“鉄剣”は、昭和34年6月27日の
 日付で文化財保護委員会によって重要文化財に指定され、同年9月1日に重要文化財
 指定書が交付された。
 現在この錫杖の頭と鉄剣は、柴崎芳博(柴崎芳太郎の長男)さんが保管されておられる」
監督の木村さんはインタビューの中で「今回の映画では、測量手たちと同じことをやろうと
したのでCGは一切を使っていない」と。
迫力あるシーンがスクリーンに次々と。
・雪崩のシーン ・岩場から滑落するシーン ・猟師が急斜面の雪原を滑り降りるシーン
・対決していた山岳会からの手旗信号による「剣岳初登頂おめでとうございます。なお、
頂上におけるかずかずの貴重なる歴史的発見は日本登山史を飾るものとして長く後世に
伝えられるでしょう。あなたがたの輝かしい成功に心から、尊敬と感謝の言葉を送ります。
山岳会小島烏水」のシーンには思わず目頭が・・・
夫婦で観賞した「剣岳点の記」は、妻の剣岳登山と主演の香川照之との記念写真が重なり、
思い出の映画となった。

山頂が見えない (イラストを模写)