廃線と駅舎と電車
地方紙新潟日報に連日廃線となった鉄道の記事が話題として
登場する。
36年間の勤務で新潟県内の各地を回り廃線となった電車にも
乗った思い出がある。
記事と思い出を重ね合わせ廃線となった駅舎と電車を見に出かけた。
・弥彦線:東三条―越後長沢(越後長沢駅:6月5日)
JR弥彦線が弥彦から旧下田村の越後長沢まで走っていたとは知らなかった。
弥彦線:越後鉄道会社が、西吉田駅―弥彦駅を結ぶ私営鉄道として、1916年に創設。
1927年に旧下田村の越後長沢まで開通した。
同年国鉄が弥彦―越後長沢を買収し「弥彦線」の名称となった。
1985年3月東三条―越後長沢は廃止され現在弥彦線は弥彦―東三条を結ぶ。
6月4日の新聞に「弥彦線越後長沢駅跡」の記念碑が出ていた。
5日弥彦線越後長沢駅跡を訪れた。
記念碑は三条警察署下田交番脇の花壇の中にあった。
道を挟んで反対側の広場には、越後交通「長沢駅跡バス待合所」があり越後交通のバス
2台が止まっていた。
・蒲原鉄道線(冬鳥越駅:6月5日))
蒲原鉄道は、1929年に開業し、最盛期は五泉―加茂間(21.9キロ)を走った。
自動車の普及が進み1985年に村松―加茂間が廃止、1999年10月には残る
五泉―村松間も廃止された。
冬鳥越駅は村松―加茂間の山の中にあった駅。
駅の裏山にあった冬鳥越スキー場は、現在冬鳥越スキーガーデンとなっており駅舎跡に
新しく「日の出荘・ロッジウェーデルン」が建っている。
日の出荘の脇には、昔走っていた「モハ1(県内最古の木造電車:大正12年製造・
定員66人))」と「モハ61(半鋼製電動客車:昭和15年製造・定員110人)」の
2台の電車が保存されている。(2台の電車は加茂市の指定文化財)
「モハ1」の電車の中に入った。
五泉―今泉間150円・五泉―村松間280円の運賃表が貼られていた。
五泉に勤務していた時、五泉から村松まで電車に乗り村松公園の花見を見に行った記憶
がある。
日の出荘のホールの壁には、七谷小学校の児童が「七谷の宝物」と電車を描いた絵が
何枚も貼られている。
懐かしい電車は、現在五泉市や旧村松町などにも保存展示されている。
・新潟交通電車線(月潟駅:6月5日)
旧新潟県庁前(現新潟市役所)から燕市までの全長36.1kmの新潟交通電車線に
「かぼちゃ電車」走っていた。
電車は、県庁前駅から東関屋駅までは、車の通る白山通りを走っていた。
・東関屋駅から県庁前駅間は、平成4年(1992)3月20日に廃止
・白根駅から東関屋駅間は、平成11年(1999)4月5日に廃止で全線が廃止
廃線となった月潟駅構内にはかぼちゃ電車と呼ばれる「モハ10形モハ11号電車」
「モワ50形モワ51号電動貨車」「キ100形キ116号ラッセル車」が保存されている。
白根に勤務していた時、白根駅から東関屋駅まで何回も通勤で利用した。
新聞によれば6月27・28日の月潟祭りに合わせ「かぼちゃ電車」が、一般公開される
という。
・番外:沿線・路線景勝鳥瞰図
6月24日の新聞に、長岡市の越後交通が所蔵するバスや鉄道の路線も描かれた同市の
観光絵図は、戦前戦後に活躍した鳥瞰(ちょうかん)図絵師の吉田初三郎さんの作品で
あることが分かったと出ていた。
2枚の絵図は
・悠久山公園―長岡―栃尾間を通った栃尾鉄道の路線の「栃尾電鉄沿線景勝観光
鳥瞰図」
・中越地域でバスを運行していた中越自動車の路線の「中越自動車交通路線景勝
鳥瞰図」
2枚の鳥瞰図は現在展示していないが、会社では「今後公開を検討したい」と。
公開されたら是非見て見たい。
自動車が普及するまではローカル電車は地域の花形であった。
昔の賑わいや面影は、写真や展示場でしか見ることができない。
2014年(平成26)には北陸新幹線が長野から金沢まで開通する予定。
故郷の高田駅や直江津駅には新幹線は停車しない。
信越線も長野―直江津間はどうなるのだろうか。
懐かしい電車があるよ (イラストを模写)