大河ドラマ天地人ゆかりの神社めぐり
1月4日の「五歳の家臣」で始まった大河ドラマ「天地人」も
今日の26回「関白を叱る」で半年が過ぎる。
第一回の冒頭のシーンで関白秀吉が大阪城の庭で兼続の目の
前に「タラぬか? それでは、これならどうじゃ?」と袋から
出された砂金が黄金の山となっていく。
いくら積まれても兼続は首を縦に振らない。
上杉家の運命は・・・
秀吉による上杉家の会津移封まであと10年。
5月23日、久しぶりに故郷高田を訪れ大河ドラマ天地人ゆかりの春日山城跡に登り
近くのゆかりの神社めぐりをした。
・春日山神社(上越市高田春日山:5月23日)
春日山神社は、上越市の春日山山腹にある神社。
明治34年(1901)童話作家・小川未明の父親である旧高田藩士小川澄晴により、
前島密らの援助を受けて創建された。
祭神は上杉謙信で、山形県米沢市の上杉神社より分霊された。
社殿は神明造である。
境内にある宝物館には上杉謙信や小川未明に関する資料が展示され、正月には初詣や
二年参りなどの大勢の参拝客で賑わう。
近くにある春日神社とは別。
・春日神社(上越市高田春日:5月23日)
「越後頸城郡誌稿」に以下の由緒がある。
曰く、当社は天徳2年(958)に蜂ケ嶺に勧請されたのが起源で、上杉憲栄(1350−
1422)が春日山に築城のさい神社を城の北西に遷座して鎮護神とした。
後、永徳年間(1381−1383)越後守護代の長尾高景が春日神社を現在地に遷し、
城の鬼門鎮護神として崇敬した。
春日山城の名の由来とされる。
・居多神社(上越市五智国府:5月23日)
近くに越後国国府があったことから国司の尊崇を受け、越後国一の宮とされた。
越後守護代長尾為景(謙信の父)が内乱鎮定祈願をしたといわれる社。
「御館の乱」では景虎側についたため、景勝軍の攻撃で神社は焼かれ、社家の花ヶ前家
は国外の各地を転々とした。
慶長3年(1598)、景勝が会津に移ったため、花ヶ前家は越後に帰った。
この混乱により社勢は衰微したが、その後の歴代領主より崇敬を受け、社領の寄進を
受けて再興した。
平成19年(2007)本社殿を造営、平成20年(2008年)6月落慶。
現宮司の花ヶ前盛明氏は「天地人」関係の本を数々出筆している。
・上杉神社(米沢市)
上杉神社由緒記によれば御祭神上杉謙信。
天正6年(1578)3月13日、戦国の名将上杉謙信公が越後の春日山城に49才で
急逝された時、その遺骸を城中不識庵に仏式を以て鎮祭された。
二代景勝公が会津を経て米沢に移封されるに当り、祠堂を米沢城内に移して仏祭を厳修
し爾来260年に及んだ。
明治の世を迎え祠堂のまま神祭に改め、米沢藩中興の名君鷹山公を合祀して上杉神社と
称した。
境内には謙信の「家訓16ケ条」の石碑が立つ。
・松岬神社(米沢市)
主祭神:上杉鷹山公、上杉景勝公、直江兼続、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政
明治35年(1902)創建
上杉神社に合祀された米沢藩中興の名君・上杉鷹山は、明治35年(1902)に
上杉神社が別格官幣社に列せられるに際し、米沢城二の丸世子御殿跡に設けた摂社
「松岬神社」へ遷されることとなった。
大正12年(1923)4月に米沢藩二代上杉景勝、また米沢市制施行50周年に
あたる昭和13年(1938)には、景勝の家老である直江兼続、鷹山の師・細井平洲、
鷹山の下で活躍した竹俣当綱・莅戸善政を合祀し現在に至る。
新潟県内はまだまだ「天地人」ブームが続く。
・まちの駅よいたに「与板天地人行列平成21年10月3日出陣」のポスターが貼られている
・新潟市では8月8日に開催される新潟まつりの「新潟キラキラパレード」に「直江兼続と
妻お船」が登場する
「天地人」ブームは福岡の博多祇園山笠にも。
7月1日から15日まで開催される博多祇園山笠に直江兼続が最上氏との死闘を繰り
広げた「長谷堂城の戦い」の勇壮な兼続の馬上姿が登場する。
旧与板町役場前玄関には、槍を右手に持ち両前足を立てた白馬にまたがる勇壮な馬上姿
の兼続公像(素材は発泡スチロールと段ボール)が飾られている。
まだ、米沢の「上杉神社」と「松岬神社」を参拝したことがないのでぜひ参拝したい。
勇壮な兼続の馬上姿が博多山笠に (イラストを模写)