大河ドラマ天地人ブームに沸く与板の  街を歩く

kanazu362009-07-12

大河ドラマ天地人ブームに沸く与板の街。
7月25日には「愛・天地人ウオーク:与板城跡コーク」が
開催される。
7月7日、一足早く「よいたみどころ観光マップ」を片手に
塩之入トンネルを基点に与板の街を歩いた。
・塩之入トンネル付近(良寛歌碑と塩水の井戸)
 与板町と和島村の境に塩之入峠がある。
 良寛も貞心尼も通った峠。
 塩之入トンネルを抜けると右側の小さな公園の一角に歌碑が建つ。
 良寛はこの峠を、「壊したいほど」と詩に詠んでいる。
 峠道は文政2年(1828)与板藩の命により改修され、その喜びを歌にして
 詠んだもの。
 近くに「塩水の井戸」があり由来には「弘法大師が、この里に住む貧しき老婆に
 授けられた・・・、里人が食塩の代用として・・・」と書かれている。
・本与板城跡
 本与板城は、建武年間(1334)新田一族に始まり、天文年間のころ直江景綱
 居城となり直江家3代(景綱・信綱・兼続)の居城で別名陰城。
・与板城跡
 直江家3代目の兼続のころ(天正年間)に、新たに与板城(城山:じょうやま)を
 築いたと伝えれ、別名陽城。
・与板城(井伊2万石)
 与板陣屋(よいたじんや)はかつて越後国三島郡与板に所在した陣屋。
 与板藩(井伊家)の藩庁で後に与板藩が2万石の城主格となったため与板城とも呼ば
 れる。
 戦国時代の直江兼続の与板城(城山)とは別。
・井伊神社
 井伊神社は、文政7年(1824)に第7代藩主井伊直暉が与板城築城の際に、領民守護と
 井伊家祖霊を祀るためため建てたのが始まり。
 明治13年(1880)井伊神社と改称した。
・楽山亭
 楽山苑の中心建物である楽山亭は明治25年三輪家11代当主、三輪潤太郎により建て
 られた。
 三輪家の祖先は越中の豪士であったが加賀前田家との戦に破れその後長岡に逃げ
 延びた際に大坂屋で働き主人に認められ与板に暖簾分されたと伝えられる。
 江戸時代は信濃川の河川交通を利用し商売を行い米、塩、海産物を京都や大阪で販売し
 帰りの荷で反物、薬、書籍等を運び回船業、金貸等の商いで越後屈指の豪商となった。
・徳昌寺
 香積山徳昌寺は、文明11年(1479)直江家を開基、耕陰道夫(こういんどうふ)を
 開山として創始以来上杉家の帰依、直江家の菩提寺として栄えた。
 上杉家・直江家の会津移封、米沢移封以後も、牧野家・井伊家藩主の崇敬と檀信徒、特に
 豪商大坂屋三輪家の庇護により開山以来今に到っている。
・都野(つの)神社
 与板の都野神社といえば、毎年9月中旬の週末に行われる与板の総鎮守、都野神社の
 秋季例大祭の「与板十五夜まつり」が有名。
 祭りの最大の見せ場は、なんと言っても3台の屋台が都野神社の境内の坂(屋台坂)を
 勇壮に登っていく「登り屋台(上り屋台)」。
・地域交流センター「まちの駅よいた」
 2009年1月10日与板町の中心地に、観光客の立ち寄り所・地域住民の憩いの場として
 「まちの駅よいた」がオープンした。
 入り口右側には「兼続とお船 愛を育んだ里 与板」の絵が描かれ、左側には直江兼続
 とお船の方の記念撮影用の人形絵が飾られている。
良寛の父以南句碑・新木家割元庄屋跡(良寛の父の生家)
 代々与板の割元庄屋の家柄。
 以南は8代与五右衛門富竹の次男。 
 宝暦5年(1755)出雲崎の橘屋山本家に婿養子に入った。
 旧新木家跡地に以南の「朝霧に一段低し合歓(合歓)の花」句碑が建つ。
・中川清兵衛生誕の地
 北海道札幌で日本人として初めてビール醸造を成功させた。
本願寺新潟別院
 与板井伊家代8代藩主井伊直経の御坊建立の発願により天保4年(1833)7月に
 本願寺から別院建立の許可が下り同年11月から建立が始まり明治4年(1871)に
 落成した。
 与板城大手門が移築され、別院の第一の門となっている。
良寛詩歌碑公園(いしぶみの里)
 町内を流れ旧黒川の川辺に東京葛飾堀切菖蒲園より株分けされた6万本の菖蒲で
 彩られる公園。
 園内には、良寛さんゆかりの20基の詩歌碑が建つ。
・番外:酒屋で
 街を歩き酒屋の店先で与板町限定の酒を見つけた。
 戦国時代直江兼続を支えた直属の家臣与板衆121名のおもいを・・・お酒に「与板衆」と
 書かれた戦国与板城主直江兼続公「越後与板衆」と直江兼続公を支えた賢女「お船の方」
 の二酒。
与板町には昭和54年3月から昭和57年3月までの3年間勤務した。
大河ドラマ天地人ブームに沸く与板の街を30年ぶりに歩き遠い昔を偲んだ。

30年ぶりに与板の街を歩く (イラストを模写)