石碑を訪ね安吾を知る

kanazu362009-07-22

今日22日の天気は。
今日日本の陸上で46年ぶりとなる「皆既日食」が観察できる。
地方紙新潟日報「碑は語る」で、三条市の大崎山公園にある
「観測日食碑」は、日本で初めての科学的な日食観測の成功を
記念して建てられたものであると紹介していた。
明治20年(1887)8月19日、本州中央部で皆既日食が起きた。
専門家による観測が千葉県銚子・栃木県黒磯・福島県白河・そして新潟県南蒲原郡
東大崎村永明寺山で行われた。
しかし、悪天候で大崎村永明寺山以外の三カ所ではほとんどまともな観測はできなかった。
この時「大日本知名辞書」で知られる吉田東伍が、弥彦山での日食進行の観測記録を
1枚の名刺大の紙片の両面に書いている。(吉田文庫長・旗野博の記から)
7月11日、新潟市中央区西大畑の旧新潟市長公舎を活用し「安吾風の館」として一般公開
された。
14日安吾風の館を見学、合わせた近くにある安吾の碑などを訪ねた。
・旧新潟市長公舎(新潟市中央区西大畑)
 旧市長公舎は、第8代新潟市長として柴崎雪次郎(埼玉県出身)を迎えるにあたり建設
 され、大正11年(1922)10月に竣工された木造平屋建で、政令市、中核市では現存
 する最古の公舎といわれる。
 和洋折衷の住宅で、枯れ山水や幕末の初代新潟奉行、川村修就(ながたか)が植えた
 松がある庭園は新潟を代表する現代庭園の一つ。
・坂口 安吾
 明治39年(1906)10月20日〜昭和30年(1955)2月17日新潟市
 ・小説家・父は新潟新聞社社長:衆院議員:漢詩人の坂口仁一郎。
 終戦直後に発表した「堕落論」などにより時代の寵児となり、無頼派と呼ばれる作家の
 一人。
 「白痴」「桜の森の満開の下」など。
安吾風の館
 新潟市では旧新潟市長公舎の建物のうち洋風の応接間700平方メートルを約1000万
 円を掛けて安吾風の館展示室に改装した。
 同市では、2005年坂口家から寄贈された「作家坂口安吾遺品」約8000点を順次展示
 公開する。
 安吾風の館に入った。
 廊下には第1回から第3回までの「安吾賞」を受賞した、野田秀樹・野口券・瀬戸内寂聴
 さんの写真が飾られている。
 一番奥の部屋が展示室となっている。
 壁には「坂口家の系譜」「坂口家の家系」「坂口安吾の年譜」が掲げられている。
 初回の展示は「安吾の娯(たの)しみ」と題しゴルフ・野球・釣りなどの53点が並ぶ。
 大河ドラマ天地人ブームに沸く春日山林泉寺付近で昭和28年(1953)7月作家檀一雄
 (42)と一緒に撮った写真も飾られている。
 職員の許可を得て、平成4年に造られたという庭園に出て写真を撮った。
 庭は、松の緑と岩と芝の緑が巧に調和されていて素晴らしい。
坂口安吾生誕の地碑(新潟市中央区西大畑:新潟大神宮境内)
 新潟大神宮の一の鳥居をくぐり参道を進み二の鳥居をくぐると右側に「坂口安吾生誕
 の地」と書かれた石碑が建立されている。
 石碑は作家坂口安吾の生誕100年にあたる平成18年10月20日、新潟市中央区
 西大畑の生家跡地(現新潟大神宮敷地内)に生誕碑が建立された。
 碑は高さ約2メートル、幅1.65メートル、奥行き1.3メートル。
 碑文は、1946年に発表された、幼少期を回想した自伝的小説「石の思い」の一節が
 刻まれている。
  「私のふるさとのは家は  空と海と砂と松林であった
   そして吹く風であり風の音であつた」
坂口安吾の碑(新潟市中央区寄居浜:護国神社境内) 
 護国神社境内の海を見下ろす丘の上に「坂口安吾の碑」が建立されている。
 少年時代の安吾は手のつけられない暴れん坊で、旧制新潟中学時代には、授業に出ない
 で砂浜で空を見つめることが多かったと。
 石碑は、尾崎士郎壇一雄らが発起人となり、1957年6月に建立された。
 高さ2.5メートル、重さ2.5トンの巨岩に
  「ふるさとは語ることなし 安吾
 と彫られている。
安吾風の館」の近隣には砂丘館(旧日銀新潟支店長宅)、旧斎藤家夏の別邸、北方文化
博物館新潟分館、會津八一念館などがある。
安吾風の館」は、新潟の新観光地として脚光を浴びる。

石碑を訪ね安吾を知る (イラストを模写)