お地蔵様と庚申講

kanazu362009-07-30

新聞に東京浅草寺の「四万六千日」と庚申講の記事が掲載
されていた。
興味があり近くにも「地蔵様」と「庚申供養塔」があるのを思い出し
庚申塔めぐりに出かけた。
・観音様の縁日と四万六千日 
 観音様のご縁日は「毎月18日」と伝承されてきた。
 これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられた。
 月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益
 (功徳)が得られると信仰されてきた。
 中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていたが、浅草寺
 では享保年間(1716〜1736)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようにった。
 そのご利益は4万6000日分(約126年分)に相当するといわれるようになった。
 (この数については「米一升分の米粒の数が4万6000粒にあたり、一升と一生を
 かけた」など諸説があるが、定説はない)
 功徳日一覧表によれば、
 1月1日 100日 ・2月晦日 90日 ・3月4日 100日 4月18日 100日
 ・5月18日 100日 ・6月18日 400日 7月10日 46000日 ・8月24日
 4000日 ・9月20日 300日 10月19日 400日 ・11月7日 6000日 
 ・12月19日 4000日
・庚申講
 庚申待(こうしんまち)とは、日本の民間信仰で、庚申の日に神仏を祀って徹夜をする
 行事のこと。
 庚申待は通常、村単位など集団で行われ、その集り(講)のことを庚申講・庚申会・
 お日待ちなどという。
 60日ごとにめぐってくる庚申(かのえのさる)日の行われる信仰行事のこと。
・大曲地蔵尊堂と庚申供養塚(新潟市西区坂井東)
 新潟市西区坂井東地内の大曲ポンプ場近くに大曲地蔵尊堂と庚申供養塚がある。
 空き地の一画に「地蔵尊堂」「庚申供養塚」「二十三夜供養塚」「大曲権現」
 「宝筺(きょう)印塔」が祀られている。
 庚申供養塚の前には「水準点」がある。
 庚申供養塚と二十三夜供養塚には、文久4甲子年3月吉日・當邑講中と書かれている。
 面白い話を聞いた。
 文久4年2月に元冶に改元され文久4甲子年3月は元治元年のはずだと。
 改元される前に彫られたものをそのまま祀ったので歴史にない元号が刻まれていると。
 インターネットで元治元年を調べた。
 万延2年2月20日(グレゴリオ暦1864年3月27日) 讖緯(しんい)説に基づく
 甲子革令の年に当たるため文久改元
 文久4年2月20日に元冶に改元
 元治2年4月7日(グレゴリオ暦1865年5月1日)に 慶応と改元
 グレゴリオ暦は、日本では1872年(明治5年)に採用され、1873年1月1日に
 あたる明治5年12月3日を明治6年1月1日とした。
 「宝筺(きょう)印塔」には、坂井下組講中天保6未年5月建立と彫られている。
・二重辻地蔵尊庚申塔新潟市西区小新)
 近くを流れる西川の小新新開橋たもとに地蔵さんが祀られている。
 門柱に、「二重辻地蔵尊」と書かれていた。
 参道の門柱が珍しい。
 大正14年建立の小新神社の鳥居が、二重辻地蔵尊の門柱になっているからだ。
 門柱には、「小新神社の鳥居を再加工したものです」平成4年8月と彫られている。
 お堂の中には、赤い着物を着たお地蔵さんが祀られている。
 お堂は地域の人たちの浄財で昭和59年8月移転新築さられた。
 お堂の脇の石碑には「二重辻地蔵尊」裏に御堂移転新築記念と書かれている。
 境内には、庚申塔も祀ら、昭和4年8月建立「小新講中」と書かれている。
 地蔵尊を管理する集落の古老海老秀二(80歳)さんに話を聞いた。
 ・集落にある小新神明宮の参道拡幅工事のとき、重機が誤って鳥居を壊してしまい、
  鳥居を再加工して地蔵尊の門柱にした
 ・庚申塔は、昔集落に庚申講中があったので地蔵尊の境内に祀った
 ・二重辻は「ふたえつじ」と読み、集落の字名です
 この集落は、昔「坂井輪村大字小新字二重辻」と言っていました。
 集落の地蔵さんと言うことで二重辻地蔵尊になったのではと。
・番外:永明寺と庚申塔三条市東大崎:7月24日)
 7月24日「観測日食碑」を見に永明寺山に登った。
 麓の集落に曹洞宗永明寺があったので参拝した。
 山門脇には庚申塔(文政10年3月)と六地蔵が祀られている。
庚申講という記事から地元の庚申塔をめぐり、古老から珍しい話を聞くことができた。
地域にはまだまだ知らない宝が埋まっている。

庚申供養塚の年号を調べる (イラストを模写)