新聞連載小説「親鸞」終わる

kanazu362009-09-03

8月31日地方紙新潟日報に連載されていたの小説「親鸞
五木寛之作)が終わった。
2008年9月1日「人を殺す牛」。
昨夜からの雨も朝にはあがって、京の大路には秋の日が
まぶしい。
忠範は目をほそめながら歩いていた。
の書き出しで始まった。
小説は、2009年8月31日「愚禿(ぐとく)親鸞の海」章、親鸞聖人が流罪先の
居多(こた)ケ浜(上越市五智)に上陸するとこで終わる。
1年間354回の連載であった。
師の法然上人は土佐に遠流される。
作家の五木さんは小説の連載に先立ち「親鸞の略年表」を掲載した。
 ・1173年 京都に生まれる
 ・1181年 得度し、比叡山に登る
 ・1201年 比叡山を下り、法然の門に入る
 ・1207年 このころ、恵信尼と結婚する 越後に流罪となる
 ・1211年 流罪を赦される
 ・1212年 法然没する(80歳)
 ・1214年 このころ、関東に赴く
 ・1232年 このころ、京都に帰る
 ・1256年 息子、善鸞義絶
 ・1262年 京都に死す
・4回改名の親鸞
 親鸞は4回改名している。
 ・慈円(慈鎮和尚)のもと得度し範宴(はんね)  
 ・法然より綽空(しゃっくう)の名を与えられる
 ・善信(ぜんしん) ・親鸞
親鸞の越後七不思議
 小説は居多ケ浜の上陸で終わり、越後における親鸞の様子は書かれなかったが、
 約7年間の越後流罪中に「親鸞の越後七不思議」など数々の奇跡・伝説を残している。
 小説に刺激され親鸞の越後七不思議めぐりに出かけた。
 ・山田の焼鮒(旧黒埼町山田:田代家・2008年5月7日) 
 ・保田の三度栗(旧安田町保田:孝順寺・5月20日) 
 ・田上了玄寺の繋ぎ榧(田上町湯田上・5月20日)
 ・小島の八房梅と珠数掛桜(旧京ケ瀬村小島:梅護寺・5月20日)
 ・国府の片葉の葦(上越市五智:居多神社・5月23日)
 ・鳥屋野逆竹(新潟市中央区鳥屋野・5月30日)
 ・川越波切りの名号(新潟市西区寺地・5月30日)
恵信尼の里を訪れる(旧板倉町米増:ゑしんの里記念館・5月23日)
 旧板倉町は、親鸞の妻恵信尼が晩年を過ごした場所とされている。
 ゑしんの里記念館の一画に墓所として恵信尼塔が祀られている。
 ゑしんの里記念館には親鸞の妻恵信・十通の手紙展で飾られている。
 書簡は、恵信尼が板倉から京都にいる娘の覚信宛に送ったもので、親鸞との生活の
 様子を回想する内容。
・番外:親鸞と浄興寺(上越市高田)
 上越市高田の浄興寺は親鸞聖人が創建、本堂は延宝7年(1679)に建築された。
 親鸞聖人は52歳のとき、この寺を「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」と名付けた。
 これを略したのが浄興寺。
 浄興寺には、聖人の頂骨や遺品が保存されている。
1年間新聞連載された「親鸞」を切り抜きオリジナル本を作った。
また何時か読む機会が。

新聞切抜きのオリジナル本ができた (イラストを模写)