カッパの秘伝「妙薬湿布」と「お灸」
昨10日、朝方は大雨が降り入道雲が出た。
新潟地方気象台は10日午後、新潟県内全域に「竜巻注意情報」
を出した。
JR東日本新潟支社では安全確認のため信越線(柏崎―塚山間)
や越後線(柏崎―出雲崎間)などで列車の運転を一時見合わせた。
「河童の川流れ」ということわざがある。
泳ぎが達者な河童でも、ときには水の勢いに流されるの意から「どんな名人・達人でも、
ときには失敗することがある」というたとえ。
新潟市中央区湖南の猫山宮尾病院のカッパの秘伝「妙薬湿布」の話が新聞に出ていた。
新潟市西区須賀の古老から「カッパのお灸」という同じような話を聞いた。
・カッパの秘伝「妙薬湿布」
新潟市中央区湖南の猫山宮尾病院の入口の門の前に「猫山宮尾病院の河童伝説」の
カッパのブロンズ像が建てられ河童伝説の由来が書かれている。
伝説のあらすじは「むかし、むかし、京ヶ瀬村の猫山にイタズラ好きな河童が住んでいた。
それを見かねた宮尾家の先祖が河童の腕を切り落とした。河童は毎晩宮尾家を訪ね
腕を返してほしいと哀願した。7日目の晩に“私の家伝の薬で切れた腕は元通りに
できます。でも7日過ぎると効力がなくなるのです”。
反省した河童をみてかわいそうになり腕を返してあげました。
さっそく腕に薬を塗り、体にあてるとみるみる腕はくっついていきました。
河童はお礼に家伝の薬を教えて川に戻っていきました」と。
猫山宮尾病院では1989年までカッパの秘伝「妙薬湿布」を「猫山あいす」という
名で実祭に処方していたという。
・カッパの秘伝「お灸」
旧須賀村(現新潟市西区須賀)の歴史を調べるため須賀集落を訪ね古老(76)から
カッパの秘伝「河童のお灸」という話を聞いた。
「昔須賀の儀左エ門の仁蔵が馬を連れて畑仕事に出かけた。畑を耕していると西川から
河童が姿を見せ馬に飛び乗った。馬は驚き河童を乗せたまま畑を飛び回った。
河童が“助けてくれ”と爺さんに頼んだ。爺さんはかわいそうになり河童を助けた。
河童はお礼に家伝のお灸を教え川に戻っていった」と。
それから儀左エ門の家では、お灸を商売にするようになり村人から「河童のお灸」と
呼ばれるようになった。
お灸は評判になり近郷近在から多くの人がお灸をすえに来るようになり大変はやった
という。
「河童のお灸」は歯臭(はくさ:歯周病)に良く効くといわ三代続いたが、平成5年3代目が
病に倒れたことで廃業した。
お灸は足のふくらはぎにすえる。
わしもお灸をすえてもらったことがあると懐かしそうに語った。
・須賀神社にカッパの鬼瓦が
須賀神社は旧須賀村の総鎮守だ。
境内入口に「須賀総鎮守須賀神社」と書かれた標柱が立つ。
鳥居には「諏訪神社」と書かれた額が掲げられ神殿の中には「須賀」と書かれた額が
掲げられている。
集落の人たちは昔から「お諏訪」と呼ぶが須賀神社と呼ぶ人はいない。
神社の縁の下に神社の屋根のふき替え工事をしたときの鬼瓦と瓦が保管されている。
保管されている鬼瓦は「河童」。
集落の人に聞いたがどうして鬼瓦が河童なのか知る人はいない。
地域には地域の人しか知らないいろんな話が残っている。
隣の旧坂井村にも「大曲の地蔵様」という地蔵信仰の面白い話が残っている。
古老からカッパのお灸伝説を聞く (イラストを模写)