大蛇伝説の里めぐり

kanazu362009-10-01

蛇の道は蛇」ということわざがある。
大蛇の通った道は、他の蛇にもよくわかるの意から、同類の者の
することは、その仲間には自然に推察できるということ。
大蛇伝説に興味を持ち大蛇伝説の里めぐりに出かけた。
村松慈光寺の「白山の大蛇伝説」(休村松町蛭野・9月21日)
 駐車場から慈光寺参道の杉並木を進み滝谷川の霊樹橋を渡ると左側に「白山の大蛇
 伝説」の碑が建つ、慈光寺山門入口にも「白山と大蛇」の看板が立てられている。
 ・石碑
  「昔、村松の白山に大蛇が住んでいて、洪水を起こしたり作物を荒らしたりして人々を
  苦しめていた。」
  慈光寺を開いた高僧が祈祷したことろ大蛇は川を下り海に向かったと言われている。
  その大蛇が通った跡が今の能代川(通称“九十九曲川”)となり、新潟まで下った大蛇は
  白山の地で息絶えてそこに祀られたという。
  現在の白山神社新潟市)にある“蛇松明神”がそれであるいう」と書かれている。
 ・看板
  応永年間(1395−1428)のこと、白山の奥地の池に住んでいた大蛇が、暴れて
  村人を困らせていたのを、傑堂和尚の読経によって、大蛇は俗世の苦しみから救われ
  池を埋めて立ち去りました。
  池の跡に現在の慈光寺を建立したといわれている。
  大蛇は能代川を下って新潟の白山神社まで来て息途絶えました。
  大蛇が楓(かえで)にしっぽを巻き一休みのとき使った石枕が「蛇枕石(じゃまくらいし)」
  とて慈光寺の境内に残っている。
 ・蛇枕石
  本堂前右側に「蛇枕石」があった。
  残念ながらしっぽを巻き一休みしたという楓の木は残っていなかった。
関川村大里峠の大蛇伝説(関川村上関:ふれあいどーむ・3月24日)
 毎年8月末に関川村で村内を練り歩く「大したもん蛇まつり」が開催される。
 大蛇はギネスブックで世界一と認定されている。
 関川村に大里峠の大蛇伝説が語り継がれている。
 大蛇が村人によって退治されてしまう物語。
 荒川の支流、女川の上流に蛇喰という村があり、忠蔵とおりのという夫婦、そしてその娘が
 住んでいた。
 禁断の蛇の味噌漬を食べた妻おりのが、蛇に化身しやがて大蛇に成長する。
 自分がすむ場所をつくるため、荒川をせき止めて関川村を大湖にする計画をたてる。
 しかし、琵琶法師によって命と引換えに情報が事前に村人に伝えられた。
 琵琶法師が息をひきとる直前に「大蛇は鉄がとてもきらいです」と言ったのを思いだし、
 村中の鉄を集めて大きなクギをたくさん作ることにした。
 そしてそのクギをみんなで大里峠まで運び、あたり一面に打ちつけたのです。
 すると大蛇が姿をあらわして苦しみ始めました。
 それは7日7晩の間つづき、村人たちは眠れない日々を過ごしました。
 やがて大蛇は息絶えて、村は助かりました。
 村人たちは、命と引換えに危険を知らせてくれた琵琶法師さんに深く感謝し、神様として
 まつることにしました。
 関川村のふれあいどーむの天井に「大したもん蛇まつり」に使われた大蛇が飾られている。
 竹とワラで作られた大蛇の長さは82.8m・重さは2トン。
 昭和63年には、日本イベント大賞奨励賞を受賞、平成元年には東京まつりにも参加した。
 平成13年6月には「竹とワラで作られた世界一長い蛇」としてギネスに認定された。
・蛇崩れ(旧分水町国上山・9月18日)
 9月18日、開山1300年を迎えた国上を参拝後、国上山に登り蛇崩れを見てきた。
 国上山の北側一部は奇岩(凝灰岩)が露出した断崖絶壁となっている。
 昔より「国上山に大蛇住みして崩せる所なり」と伝えられ、地元ではここを「蛇崩れ」と 
 呼んでいる。
 ゴツゴツした岩肌が露出した断崖絶壁から越後平野日本海佐渡を見渡すことができ、
 その眺望も素晴らしい。
・亀貝の昔話「赤池」(かわらばん「ふるさと坂井輪」から)
 私の所属するサークル活動「NPO坂井輪地域学」では、かわらばん「ふるさと坂井輪」を
 3か月ごとに発行する。
 平成16年2月の第8号に亀貝の昔話として「赤池」の大蛇の話が掲載されている。
 「昔、むかし西川の大曲に、大蛇が棲むという池があったと。・・・大蛇は村人が供えた
 どぶろくを飲み、ぬい針のはいったけいもち(おはぎ)を食べた。
 針が大蛇のはらにささり、もがけがもがくほど針は刺さる。大蛇は池に飛び込んだ。
 それから大蛇の姿を見た人はなかった。翌朝には池が真っ赤に染まっており、それから
 この池を“赤池”というようになった」と。
9月29日、村松の白山の大蛇が息絶えたと伝わる新潟白山神社の「蛇松明神」を参拝
した。
大蛇伝説が各地に伝わる新潟県内。
次はどんな伝説に出会うか。

これが蛇枕石 (イラストを模写)