舟運で栄えた在郷町小須戸の町屋を歩く

kanazu362009-10-02

新潟県内の各地では町屋巡りが盛んだ。
新潟市秋葉区小須戸地区のコミニュティ協議会では、明治以降
の町屋が残る旧小須戸町の歴史と魅力を多くの人に知って
もらおうと「舟運で栄えた在郷町小須戸まちあるきマップ」と
「手ぬぐい」を作った。
土日祝日に町歩きイベントが定期的に開催されると知り9月21日参加した。
・舟運で栄えた在郷町小須戸
 在郷町とは、農村部などで商品生産の発展に伴って発生した町・集落。
 城郭や藩庁などを中心に栄えた城下町や陣屋町、宿場中心に形成された宿場町、寺社を
 中心に形成された門前町などと決定的に違うのは、町の中心となる施設(城郭・大きな
 宿場・有力寺社など)がないこと。
 小須戸は、信濃川の川湊として栄えた。
 信濃川では、長岡船頭よ呼ばれる舟運組織が長岡藩により組織され、小須戸は指定の
 河岸となり年貢米などの物資の集積地として発展した
 安政5年(1858)の小須戸には150表積の大船が3隻あったと「水経坤」に記録
 されている。
 しかし、明治31年(1898)北越鉄道(現在の信越本線)の全通や自動車の普及
 などにより舟運は衰退し昭和の初に姿を消した。
・無料休憩所のオープン
 旧小須戸町では、明治以降の町屋が残る小須戸町の歴史と魅力を多くの人に知って
 もらおうと地元と商店街にある閉店した酒屋を家主から借り受け無料休憩所として
 オープンした。
 休憩所には、小須戸町の町屋の特徴を記した解説パネルが展示されている。
 ・明治初期金太郎の葬式(刀を差し、みな着物姿)
 ・木造の小須戸橋と蒸気船「安心丸」 ・大正13年の本町1通り
 ・大正13年の本町2通り(当時の町の中心・火の見やぐらが見える)
 ・大正末期の喧嘩燈籠 ・昭和25年の民謡流し(本町通り)・昭和34年の小須戸橋
 などなど。
・在郷町小須戸の町屋を歩く
 ボランティアの案内でマップを片手に小須戸の町屋を歩いた。
 ・「鼻隠し」のある町並み ・黒塀の小道 ・伴六殿小路 ・お蔵小路  
 ・長屋と板塀の小道 長屋門の小道 ・分署小路 ・馬頭観音
 などなど。
 ・伴六殿小路は、金沢のある城の城代家老だったといわれる伴六が永享8年(1436)の
  戦いに敗れ浪人となってこの辺に移り住んだことからこの小路名がついた。
 ・分署小路は、明治10年頃、この付近に小須戸警察署があったと言われており、その
  2年後の明治12年に新津警察署の分署に格下げされたことからこの小路名がついた。
 ・馬頭観音は、小須戸では、江戸時代の明和5年(1798)に馬市が開催されていた
  記録がある。馬頭観音は川へ落ち死亡した馬の供養の為に建てられた。
  地蔵さんが頭に馬の顔の冠を乗せているのが印象的。
かって川湊として栄えた小須戸町、1901年以降大火がなく古い町屋が多く残る。
町屋では現在も生活しており非公開になっており外観は眺めるだけ。
内部が公開されるのは、土日祝日の定期的に開催される町歩きイベントのときだけ。

鼻隠しのある町屋を見上げる (イラストを模写)