大河ドラマ天地人与六・竹松役で二度 泣かせた清史郎君
昨11日放送の大河ドラマ天地人は、「上杉の生きる道」だった。
関が原の合戦に敗れた会津上杉120万石は、上杉家の
存続のため直江兼続の長女お松の婿として徳川家康の側近
本多正信の次男政重を迎える。
「わしは、こんなとこ来とうはなかった!」の名セリフで一躍アイドルになった加藤清史郎君。
ドラマでは与六役と竹松役で二度視聴者を泣かせた。
・与六役(第2回「泣き虫、与六」:1月11日)
母お藤と与六の再会と追い返す場面
雲洞庵を抜け出し雪の中を歩いて返ってきた与六に、母は
「どうしたのです? さ、中へ」
「母上のそばがよい。あんなところにいとうはない・・・」
「与六・・・戻るのです。今すぐ、寺に戻りなされ」
お藤は心を鬼にして再び与六を外に追いやり、ピシャリと戸を閉めた。
・竹松役(第41回「上杉の生きる道」:10月11日)
上杉の生きる道のため、兼続が長女お松の婿に家康の側近本多正信の次男政重を迎え
直江家の家督を継がせた。
直江家を継ぐのは自分だと信じていた兼続の嫡男竹松(景明)は大きなショックを受ける。
兼続が三人の子を前に「いま一つ大事な話がある。政重殿がわが直江家の婿となる」
「父上直江家を継ぐのは私ではないのですか」
「そうだ」
与六の目からは大粒の涙が・・・
祖父惣右衛門に「父上は私のことを嫌いのようです」と泣く竹松に
「父の愛を疑ってはならないぞ」と。
昔、嫌がる与六を喜平次様の小姓として雲洞庵に行かせたことを・・・
与六は泣きながら「父上・・・母上・・・もういたずらをせぬ。よい子になるから、父上・
母上・・・」
親と子の辛い別れのあったこと話す。
・直江兼続一家(天地人年表から抜粋)
兼続:元和5年(1623)12月19日死去・享年60
お船:寛永14年(1637)1月4日死去・享年81
兼続が死去すると、剃髪して貞心尼と号し景勝より3000石の化粧料を与えられる
(景勝死後は藩主定勝から3000石の化粧料と手明組40人を与えられる)
長女お松:慶長9年(1604)本多正信の次男政重を婿に迎える
慶長10年(1605)8月17日死去(1606年とも)
次女(名は不明・ドラマではお梅):慶長10年(1605)1月死去
嫡男竹松(景明):文禄3年(1594)誕生
慶長14年(1609)近江膳所城主戸田氏鉄の娘と結婚
元和元年(1615)7月12日死去
天地人の放送は11月22日で終わる。
最後のロケが思い出の地八海山で9月27日行われた。
テレビからは最終回に放送される兼続とお船の2人が八海山に登り越後平野を見下ろす姿が流れていた。
天地人の放送もあと6回で終わる。
二度泣かせた清史郎君 (イラストを模写)