雲洞庵と開山堂を参拝

kanazu362009-10-20

大河ドラマ天地人与六ブームで一躍脚光を浴びた「雲洞庵」と
石川雲蝶の彫刻で有名な西福寺「開山堂」を10月12日参拝
した。
・雲洞庵と与六
 与六(兼続)が雲洞庵で謙信や北高全祝和尚の前で挨拶。
 その席で「わしは、こんなとこに来とうはなかった!」と叫ぶ。
 この名セリフで与六こと加藤清史郎君は一躍茶の間のアイドルに。
 与六の名セリフとともに北高全祝和尚と雲洞庵の名も全国に。
 今日も雲洞庵は多くの観光客で賑わう。
 往古より越後の国では、「雲洞庵の土踏んだか」「関興寺の味噌なめたか」と言われ、
 信仰が大変盛んであった。
 赤門右側に「雲洞庵の土踏んだか」の看板があり左側に大わらじが奉納されている。
 赤門をくぐると「参道」と書かれた立て看板がある。
 「この石畳の下に法華経を一字一石づつ刻み、約1mの深さに敷きつめてあります。
 ふみしめますと御利益甚大です」と書かれている。
 そこから「雲洞庵の土踏んだか」という言葉が生まれたという。
 石畳は本堂まで続く。
 石畳の上を歩いた。
 越後一之寺と書かれた看板もある。
 越後に来たら一番最初にお参りするお寺。
 ちなみに越後一ノ宮は弥彦神社
 院内に入ると「喜平次(景勝)と与六」が北高全祝和尚から学問を学んだ部屋があり
 北高全祝和尚から講義を受ける「景勝・兼続勉学の図」が描かれたついたてがある。
 雲洞庵座禅堂を通り二階の雲洞庵客殿に出た。
 二階の部屋からは坂戸山山頂にある冨士権現の社の赤い屋根が見える。
 宝物殿も見学した。
・開山堂と石川雲蝶
 越後の左甚五郎こと名工石川雲蝶ブームである。
 石川雲蝶は(1814年―1883年)は、江戸末期から明治時代にかけ新潟県
 拠点に約1000点ともいわれる作品を残し活躍した。
 魚沼市では、見学者を案内するボランティアガイドの養成講座が始まった。
 三条市では、11月10日から三条市歴史民俗産業資料館で越後のミケランジェロ
 「石川雲蝶」地域の秘蔵品大公開展が開催される。
 石川雲蝶といえば、西福寺開山堂の彫刻が有名。
 開山堂の向拝及び堂内には彫刻・絵画・漆喰細工の数々が施されている。
 その雲蝶作品群が、日光東照宮にも劣らない素晴らしいものであることから、またの名を
 「越後日光開山堂」と呼ばれるようになった。
 開山堂に入ると彫刻の説明のテープが流れる。
 ・開山堂天井の大彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」
 ・欄間透かし彫り「道元禅師と白山大権現」
 ・法堂脇の襖絵「孔雀遊戯之図」
 ・鬼退治の仁王像
 などなど。
 天井に刻まれた龍と虎の目は、当時としては貴重なギヤマンが使われている。
・番外:石川雲蝶の彫刻めぐり
 ・石動神社(三条市吉野屋・6月17日)
  石動神社には、石川雲蝶の彫刻が8点残されてる。  
  向拝はケヤキ材でできており、龍と波と千鳥・亀・鯉・唐獅子が彫られ、正面の
  イチヨウ材の欄間には、右側に鵺(ぬえ)退治・中央に蜘蛛退治・左側に大蛇退治が、
  回廊の脇障子の右側には神宮皇后と武内宿禰(すくね)、左側には加藤清正と高麗人が
  彫られてる。
  また拝殿の中は、おびんずるさまと呼ばれる木像、社務所には十二支が彫られている。
 ・秋葉神社奥の院長岡市栃尾・7月25日)
  秋葉神社の真後ろに秋葉神社奥の院がある。
  奥の院は弘化3年(1846)に落慶した。
  土台から破風に至るまで豪華な彫刻で埋め尽くされている。
  この彫刻は、安政年間に石川雲蝶と熊谷源太郎の2人によって8年間の歳月を費やし
  彫られた。
  奥の院の建物はすべて金網で覆われており網越しでしか彫刻を見ることができない。
 ・法華宗総本山本成寺三条市西本成寺
  本成寺石川雲蝶の墓がある。
行楽の秋、大河ドラマ天地人ブームに沸く越後一之寺の「雲洞庵」と石川雲蝶ブームに沸く
越後日光よ呼ばれる西福寺「開山堂」を参拝した。

この石畳の下にお経が (イラストを模写)