新潟の街遺産めぐり
新潟に建築研究家や郷土史愛好家でつくる市民団体
「新潟まち遺産の会」がある。
会では「まち遺産マップ異人池・ドッペリ坂界隈」を発行、
新潟の古い建物などを「新潟のまち遺産」として紹介している。
マップには、妻有・金井文化財館・北方博物館新潟分館・新潟大神宮・市長公舎
・副知事公舎・旧日銀新潟支店長宅・カトリック教会・旧斉藤邸別荘・新潟刑務所跡
・異人池・どっぺり坂などが。
10月9日マップを片手に新潟市の西大畑周辺を散策し歴史ある建物を見学した。
・料亭妻有(新潟市南浜通り)
明治時代に建てられた町屋である染物屋の建物を一部借りて営業している。
染物屋の建物には「寺島染工場」と書かれた大きな看板が残っている。
・旧金井写真館本店(新潟市中大畑町)
金井彌一氏が東京で写真修業を終えた後、新潟で創業した写真館で1887年
(明治20年)に建てられた洋風建築。(設計者:中島泉次郎)
朱色の建物が印象的だ。
・北方文化博物館新潟分館(新潟市南浜通り)
新潟分館は、長岡の清水常作氏が明治28年に別宅として建設しが、明治末期に六代
伊藤文吉が新潟別邸として取得した。
曾津八一が昭和20年7月25日から昭和31年11月21日に75歳で永眠するまで、
ここ新潟分館の邸内の洋館で暮らしていた。
建築は新潟市の玉野玉蔵氏、箱庭は後藤石水氏の苦心の作で、館内には秋艸道人
(曾津八一)の歌書、良寛の書を多数展示されている。(国登録有形文化財)
・新潟カトリック教会(新潟市東大畑)
1885年(明治18年)に、新潟市東大畑の地に最初の教会が建てられ、その後、
1927年(昭和2年)当時の教区長だったドイツ人アントニオ・チェスカ師によって、
新しく現在の聖堂が献堂されました。設計は、日本で16年を過ごしたカトリックの
建築技師スイス人 マック・ヒンデル氏によるもの。
空にそびえる双塔が青空に映える。
・新潟大神宮(新潟市西大畑)
1872年(明治5年)の教部省通達によって全国に神宮教会、神宮分教会が組織された。
これをうけて新潟市にも神道事務分局(中教院)が開設され、施設が東大畑に置かれた。
さらに教院地方本部が置かれて中教院を吸収した。
以後、ここを拠点に皇道の布教が進められた。
本部の施設は本町通8番町に置かれたが火災で消失した。
明治22年西大畑の現在地に再建された。
鳥居をくぐると参道脇に「坂口安吾生誕の地」の石碑が建つ。
・新潟市長公舎(新潟市西大畑町)
新潟市長公舎は、中廊下式住宅の典型例の一つで、大正11年に建てられた。
中廊下式住宅とは、家の一部に洋風を採り入れた和洋折衷の住宅のこと。
中廊下によって間取りが区分され、玄関の脇の一室を板床の洋風応接間とするもの。
現在は「安吾風の館」として坂口安吾の資料館となっている。
・新潟刑務所跡:西大畑公園(新潟市西大畑町)
西大畑公園は、旧新潟刑務所の跡地に造られた1.6ヘクタールの公園。
公園裏入口脇に縮小された赤レンガの「旧刑務所通用門」が建てられている。
・行形亭(いきなりや):(新潟市西大畑町)
元禄年間に創業された新潟を代表する日本料理の老舗で2000坪の庭園に離れの
座敷が13。
黒塀脇にある「地獄極楽小路」の案内板が印象的。
小路を挟み右側が地獄の新潟刑務所、左側が極楽の料亭行形亭。
・副知事公舎(新潟市営所通)
副知事公舎は、俗に「洋館付き住宅」と呼ばれる特徴的な建築で、和風住宅の玄関脇に、
外観も内装も洋風の応接室を付加した和洋折衷の住宅形式。
現在は個人が所有し、建物の一部がレストラン(ネルソンの庭)になっている。
などなど。
・番外:御林稲荷社(新潟市西大畑)
新潟大神宮の隣に御林稲荷社がある。
お参りに来ていた老婆が、「この稲荷にお参りすると昔の恋人が戻ってくるといわれ
芸者衆が信仰していました。あなたもお参りすると昔の恋人に会えますよ」と。
新潟市は、明治元年(1868)に開港5港の一つとして開港され栄えた歴史ある街。
異人池やドッペリ坂界隈には新潟の歴史ある建物などの遺産が多く残っている。
歴史ある建物が残る街を散策。 (イラストを模写)