新潟西堀りの寺院めぐり
新潟の通称寺町通り(西堀通り)を散策するとたくさんのお寺が
点在する。
曹洞宗宗現寺の山門脇の掲示板に「佳き年は 一歩一歩の
積み重ね」と書かれている。
新潟市が新潟の歴史を知ってもらいたいと西堀通りに点在するお寺の成り立ちをなどを
紹介する「寺町解説板」を設置したと新聞に。
1月17日新潟西堀りの寺院めぐりに出かけた。
・新潟の寺町(西堀通り)
西堀通3番町の法音寺近くに「新潟市街角歴史案内板」が設置され「享保10年(1725)
新潟町絵図」と「400年の歴史を秘めた新潟の寺町」の説明が書かれている。
絵図には西堀通りの25寺名が書かれ、説明には「永禄年頃すでに、善導寺・長善寺・
宝亀院・不動院が開基し、次いで元亀・天正年頃に真浄寺・法音寺・長照寺・宗現寺・
本覚寺・が開基し、その後、24の本寺と18の前寺・末寺が甍(いらか)を並べるまでに
至り、明治初期西堀と町名改正になるまで、寺町と呼ばれていた」と。
・寺院解説板の設置
新潟市では今回西堀通1番町から西堀通6番町辺りまでの12カ所の寺の山門入口に、
建立された経緯や寺にまつわる歴史的な出来事などをイラストを交えて紹介する解説板
(高さ1.3m・幅12.5センチ)を設置した。
新潟町絵図をたよりに、西堀通1番町から西堀通6番町の寺院をめぐった。
・本浄寺(西堀通1番町:浄土真宗本願派)
加賀の藩士が本願寺代八世蓮如の弟子となり加賀大聖寺に一寺を築いた。
三世願正が、同地で起きた騒動を避け寛永7年(1630)に新潟に移転した。
・真浄寺(西堀通2番町:真宗大谷派)
親鸞聖人から法名を賜った明慶坊が建暦2年(1212)信州赤沼(長野市)の堂宇を
建立、その後各地を転々とし慶長2年(1597)新潟に移転した。
・超願寺(西堀通2番町:真宗大谷派)
初め加賀国の真言寺院として開基、その後浄土真宗に改宗して、佐渡・五十嵐浜
(新潟市西区)から三転し元和5年(1619)新潟に移転した。
・瑞光寺(西堀通3番町:曹洞宗)
出羽国大山町(山形県鶴岡市)善宝寺第二世天与是準大和尚から数えて現住職は
第二十七世に当り開基より500年以上の歴史を持つ。
・法音寺(西堀通3番町:曹洞宗)
開山太庵梵守大和尚が文明9年(1477)に死去したことから、それ以前の創立と
思われ、530年以上の歴史を持つ新潟町の最も古い禅寺の一つである。
・不動院(西堀通4番町:真言宗智山派)
山城国(京都)醍醐報恩寺の末寺として、永禄11年(1568)にすでに存在していた。
・善導寺(西堀通4番町:浄土宗)
京都知恩院の末寺として、和泉国出身の開山岌讃によって天文3年(1534)に
開かれた。
後に越後に赴き新津の善導に寺を建立、その後現在地に移転した。
・長照寺(西堀通5番町:日蓮宗)
九州長崎または京都で開山後、天正3年(1575)第十一世日長上人の代に篤信家
「若狭入道塩常安」の招きで新潟に移転した。
・光林寺(西堀通5番町:浄土真宗本願寺派)
慶長の初め加藤清正の重臣中山五郎左衛門清定が会津若松に一宇を建立した。
慶応12年(1607)頃新潟町に移転した。
・弘願寺(西堀通6番町:真言宗智山派)
劇場跡地に昭和44年(1969)7月に建立されたお寺。
仏師福崎日精作の身の丈30尺(約9m)の大きな弘法大師像が建つ。
・妙覚寺(古町通3番町:日蓮宗)
元禄9年(1696)3月に本覚寺第四世戒善院日尊を開基とし、寺町の鏡ケ淵と称する
沼畔に鬼子母神堂として建立された。
城下町ふるさと上越市高田にも寺町と裏寺町があり、新潟に負けないほどのお寺が建ち
並ぶ。
新潟の繁華街三越近くに高さ約9mもある大きな弘法大師像が建ち、新潟の街並みを
見下ろしているのには驚いた。
新潟市では本年度中にさらに古町通12番町までの10ケ所にも寺院解説板の設置をする
予定。
街なかの大きな弘法大師像を見上げる (イラストを模写)