新潟西区のココはドコめぐり

kanazu362010-04-26

毎月1日に「新潟日報るーと」が新聞に折り込まれる。
4月号は“西地区のココはドコ?”と5か所の写真が掲載され、
この機会に皆さんも西地区を回ってみてはと。
興味をもち16日自転車で5か所のココはドコめぐりに出かけた。
・海岸道路完成記念の日(上新栄町
 寺尾方面から日本海の国道402号線に進むとT字路交差点の左側に石碑が建っていた。
 碑には「美しき入り日の道」と書かれ、国道402号バイパス線は平成2年に五十嵐幹線が
 開通した。
 碑に「開通を記念し平成2年9月29日建と書かれている。
・温泉が湧いた(黒埼緒立・緒立八幡神社
 旧黒埼町の緒立地区に緒立温泉がある。
 地区の古老橋本屋の主人は、温泉のいわれは、文久3(1863)年に、皮膚病に侵され
 医者にも見離された娘が、夢のお告げに従い湧き出る霊泉を発見し、完治したことから
 噂になり湯治場となった。
 霊泉の湧き出た場所が緒立八幡神社の境内だったことなどから緒立は八幡神社
 門前町として栄えたと。
 源泉は今も湧き出ており建物にはしめ縄が張られている。
 境内に昭和2年から昭和45年ころまで緒立温泉が湯治場として栄えていたころの「緒立
 温泉・千客万来湯治場風景」の写真が4枚掲示されている。
・大曲の地蔵堂(坂井東2:大曲)
 地蔵堂にお地蔵さんが12体祀られている。
 明治29年の大洪水で坂井字大曲の堤防が決壊してそこに三つの大池ができた。
 その大きさにより小針に近いほうから大曲の大池・小池・中池と呼ばれていた。
 大曲堤防のほぼ中央の大池のかたわらに14本の松林に囲まれた昔の古い墓地があり
 大小12体の地蔵が立っていた。
 口碑によれば、江戸時代前の古い禅寺だとされる。
 ある時乞食坊主が一番大きな一体だけを残しほかの地蔵の頭を折って近くの田や大池に
 投げ込んだ。
 しばらくして同集落の中野林次さんの夢枕に黒染めの衣を着た地蔵様が現れ「寒くて
 仕方がないから早く助けてくれ」と救いを求めた。
 じいさんは田や池から頭を拾い上げ首をすげ替え安置した。
 それから大池では鯉や鮒が沢山獲れるようになり、村は豊になった。
 また、池には大蛇が住んでいて漁師が網を下ろす前にお神酒をあげないと網を破られたり
 不漁であったという。
 地蔵堂には間口2間奥行き3間の広さで、12体の地蔵が祀られている。
 なお、大池は昭和44年2月すぐ近くに新潟市のごみ焼却場が建設されそこから出る
 焼灰で埋め立てられ昭和44年までに完全に姿を消してしまった。
・川の上に川が流れる内野新川(内野・槙尾)
 新潟市槇尾地内で新川と西川が立体交差する。
 新川に架かる水路橋(西川)は、立体交差する川として知られている。
 地元の古老が、内野新川は「川の上に川が流れる川」といわれ、日本では珍しいことから
 小学校の教科書でも紹介されたと。
 新川と西川が立体交差する場所に案内板が立つ。
明治天皇北陸巡幸御座所(小針・渡部邸)
 明治天皇明治維新後の明治5年から明治18年までの間に6回にわたって、日本国内を
 巡幸された。
 民情を視察し、新政府の適否をさぐり、あわせて天皇統治権の浸透を図るためと。
 北陸巡行は明治11年(1878年)8月30日に東京を出発、長野県から新潟県へ入られた
 のは9月10日で、9月26日まで県内に滞在された。
 小針の西川左岸の旧渡部邸跡は現在「庄屋の杜公園」となっており公園の1角に「明治
 天皇駐輦之蹟」と「御座所阯」の石碑が建つ。
 9月16日、明治天皇北陸巡幸の折り小針の渡部邸で小休止後新潟へ向かわれた。
 石碑には大正4年11月10日坂井輪村と書かれている。
5枚の写真との出会が縁で、現地で古老の話を聞くことができ、また、現地で珍しい発見に
出会うこともできた。

緒立温泉のいわれは (イラストを模写)