角田山麓の神社仏閣を訪ねる

kanazu362010-04-28

角田山のふもとの角田地区は、越前浜・角田浜・五ケ浜の
3集落で構成されている。
新潟市西蒲区役所では、18日に越前浜集落めぐりを24日
には五ケ浜めぐりを開催した。
興味を持ち24日、越前浜・角田浜・五ケ浜3集落の神社仏閣めぐりに出かけた。
・越前浜集落
 ・越前浜発祥の地
  角田山宮前登山口を15分くらい登ると「越前浜発祥の地」と書かれた看板がある。
  右に折れ少し行くと神社がある。
  社(やしろ)右側にある「越前浜由来の碑」には、越前浜神明社と書かれ大正13年3月
  5日建立、石文には、「越前浜は、慶長7年越前国坂井郡三里浜から小川興三左衛門
  以下28人がこの地に入国」、大正13年3月烏子明神を神明社に改称し村社とし宮平
  に建立。
  越前浜発祥の地は、今は人家もなく林の中に埋もれ社のみが往時を偲ばせる。
  越前浜集落は、戦国の武将越前朝倉義景の家臣たちはが越前から逃れこの地に村を
  再興したといわれる。
  初めは「新浜」と呼び、やがて越前郷屋村(1623)と改称。
  越前浜村と呼称されたのはこれから250年余り後の明治に入ってからで、角田村に
  合併されるまで続く。
 ・鳥之子神社
  境内には「鳥」にかかわる奉納物が多い。
  拝殿前や境内には鳥にちなんだものが多く奉納されている。
  拝殿のさい銭箱の上に5羽の鶏が祀られている。
  越前浜の神明社は「鳥之子神社」と呼ばれている。
  越前浜の集落は越前国から移住した人(姉川の合戦で敗れた朝倉義景の残党ともいう)
  によって開かれたと伝えられている。
  移住のさい、荒天のため船が難破したが、岸から聞こえる鶏の声のおかげでこの浜辺 
  にたどり着くことができた。
  以来、この地区では鶏をことのほか大切にしてきたという。
  鶏肉や卵を口にしない習慣も続いている。
  鳥之子神社の祭神は鶏か?・・・。
 ・浄土真宗西遊寺
  山門脇の看板に「川尻山西光寺」と書かれている。
  境内に入ると親鸞聖人の銅像が建つ。
  資料によれば、山号はかつての朝倉義景ゆかりの寺、川尻山・西光寺と同じ
  「川尻山」とし寺の名前を「西遊寺」とした。
  西遊寺開基は、朝倉義景の実子愛王丸で以来19代続く名刹。 
・角田浜集落 
 ・妙光寺
  角田山山麓にある日蓮宗の寺。
  資料によれば、文永8年(1271)に佐渡配流の日蓮聖人が「岸・岩・波の三題目」 
  を遺された霊地として、孫弟子にあたる日印上人により正和2年(1313)に創建
  された。
  境内は広く、本堂・祖師堂・客殿・山門・三重塔・鐘楼・池等がある。
  山門は文化11年(1814)建立で「角田山」と掲額されている。
 ・七面大明神教化の岩穴
  妙光寺を過ぎ村木陶芸スタジオを過ぎさらに山手に進むと岩穴がある。
  岩穴は「七面大明神教化の岩穴」と呼ばれる。
  資料によれば、「妙光寺付近に大きな岩穴があり、そこに七頭一尾の悪蛇が住み土民を
  悩ましていたが、日蓮聖人はこの悪蛇を教化に伏し、悪行を改めさせ、法華経の業者
  を守護するとの誓いをたてさせ、以後悪蛇は身延七面山に鎮座して、末法の鎮守とし
  て崇敬される七面大明神となった」と伝えられる。
・五ケ浜集落
 地名の由来は、五ケ所にあった集落を一村に集め「五ケ浜」と名付けた。
 明治22年4月1日の町村制施行にともなう合併により五ケ浜村に。
 明治34年11月1日角海浜村と合併し浦浜村に。
 ・明楽寺と政蔵の彫刻
  明楽寺は真宗大谷派の寺院。
  九州久留米の城主で、源平合戦に破れた主従7人がこの地に来て世を忍ぶ。
  後に親鸞聖人の教えに化導され五ケ浜に帰り一宇を建てたのが明楽寺のはじまり。
  五ケ浜大工の政蔵(ハゲ政)は、宮大工で彫りの名工といわれ明楽寺本堂の厨子
  金比羅社の御堂の彫刻などを彫った。
 ・神社仏閣
  旧浦浜小学校周辺に八幡宮金比羅社・稲荷社が並んで建てられ、その近くに釈迦堂・
  観音堂もある。
  稲荷社のキツネが子ギツネを抱いているのが印象的。
角田山麓の越前浜・角田浜・五ケ浜3集落の神社仏閣を訪ねた。
神社仏閣などを見ていると遠い昔に刻まれた歴史の一コマ一コマが今に甦る。

鳥之子神社の祭神は鶏か (イラストを模写)