黒鳥兵衛と八幡山七不思議

kanazu362010-04-30

新潟市西区の緒立八幡宮を参拝し黒鳥兵衛と緒立八幡宮
関係あることを初めて知った。
境内に「八幡山七不思議」の石板が立てられている。
興味を持ち黒鳥兵衛と八幡山七不思議を調べた。
・黒鳥兵衛(繚乱・越後黒鳥太平記から抜粋)
 伝説によれば、黒鳥兵衛は平安時代の後期、安倍貞任の残党であった黒鳥兵衛は
 越後国へ入ると悪逆非道の限りを尽くし、朝廷の討伐軍をも打ち破った。
 困り果てた朝廷は、佐渡国へ配流となっていた源義綱を赦免し(あるいは源義家とも
 言う)黒鳥兵衛の討伐に当たらせた。
 黒鳥兵衛は妖術を使って抵抗するが、次第に追い詰められ、現在の新潟市味方の陣に
 立てこもった。
 当時、このあたり一帯は泥沼で、容易に歩ける場所ではなく、攻めるに難しい陣であった。
 攻めあぐねていた源義綱は、ある日、一つがいの鶴が木の枝をくわえて来ると、それを
 足に掴んで沼の上を歩くのを見た。
 「これこそ神の御加護」と、かんじき(竹などで作った輪状又はすのこ状の歩行補助具で、
 足に着け、雪上や湿地などで足が潜らないようにする)を作り、兵に履かせて一気に攻め
 込んだ。
 不意を突かれた黒鳥兵衛は、ついに討ち取られ、首をはねられた。
 はねられた黒鳥兵衛の首は黒鳥地区へ飛び、胴は塩漬けにして緒立山に埋め、その上に
 鎮めとして八幡宮を建立した。
 その後、首と胴が互いに求め合って無気味に鳴りあうこの社地を「胴鳴りの丘」と呼ぶ
 ようになり、後に境内から塩霊泉も噴出し、諸疾によく効くところから緒立鉱泉(温泉)
 となって現在に及んでいる。
八幡山七不思議
 「緒立八幡縁起」によると次のような七不思議が伝わり、緒立八幡宮境内に「八幡山
 七不思議」の解説を書いた石板が7枚立てられている。
 1:矢竹のこと
  黒鳥兵衛は死んだ後も憤りがひどく、人々に害を与えていた。そこで義綱が、緋威の鎧、
  龍頭の甲の緒を締め、黒馬に乗り紅白の切り交えた采配を鎧の鐶(わ)に差し、八幡山
  立ち、重藤の弓で稀の羽の矢を空に向かって放った。矢は地面に落ち、たちまち枝葉が
  茂ったという。
  これが俗に言う矢竹で、これにより黒鳥兵衛の祟りが治まったという。
 2:浮島のこと
  この山は元来、島でどんな洪水にも沈むことがなかったという。
  また、葦を地面に刺すとどこまでも刺さったと言われる。
 3:地面積のこと
  山の上はわずか20間四方(1320平方メートル:現在でもほぼ同じ)で陣所に狭い
  ということはなく、幾万の兵が集まることができた。
  後に洪水が起きた時、村人が多数避難しても同様だった。
 4:兵衛の名を忌(いまわ)むこと
  兵衛の名前をふざけて呼んだだけでも禍が訪れるとされた。
  これは神の罰によるものとされ、そのため地名に「兵衛」と付く所がない。
 5:胴鳴りのこと
  兵衛の霊魂は一時は沈められたようだが、時を経ると(特に秋日風雨の前など)社の
  森の辺り、雲の中から雷が轟くような音がして周囲の村人たちを驚かせた。
  (地元、黒鳥には聞こえないという)
  これを胴鳴り(または、堂鳴り)といい、黒鳥兵衛の胴体が首を求めて鳴くと言われた。
 6:塩泉のこと
  黒鳥兵衛の屍骸を塩漬けにして、石の棺に入れ神社の中に埋め榎を植えた。
  その後、塩泉が湧き出しその塩辛さは海水のようだった。
 7:霊泉のこと
  社殿入口の木の股の所に冷泉が湧き、四季に絶えることがなく、旅人が汲んでは万病に
  効いたという。
  特に、傷、皮膚病に効能があった。
・緒立温泉のいわれ
 温泉のいわれは、文久3(1863)年に、皮膚病に侵され医者にも見離された娘が、
 夢のお告げに従い湧き出る霊泉を発見し、完治したことから噂になり湯治場となった。
 霊泉の湧き出た場所が緒立八幡神社の境内だったことなどから緒立は八幡神社
 門前町として栄えたという。
緒立八幡宮を参拝したことで黒鳥兵衛と八幡山七不思議と緒立温泉のいわれなどを
知ることができた。

境内の石板で八幡山七不思議を知る (イラストを模写)