大河ドラマ龍馬伝と幕府蒸気船順動丸のシャフト

kanazu362010-05-03

昨2日のNHK大河ドラマ龍馬伝」は、「海軍を作ろう!」。
文久3年の元旦に品川を出発した幕府の蒸気船順動丸は
太平洋から瀬戸内に入り京へ向かっておったがじゃ」と
ナレーションが流れ、大海原に浮かぶ順動丸が映し出された。
テレビの放送に合わせるかのように坂本龍馬勝海舟も乗った順動丸のシャフトが旧寺泊
町役場荒町車庫で展示されていると知り見てきた。
ゴールデンウイークで寺泊魚市場のアメ横は多くの人で賑わう。
展示会場はアメ横の駐車場隣りにあった。
・寺泊沖で自爆した順動丸のシャフト展示(旧寺泊町寺泊町役場荒町車庫・5月2日)
 会場入口には「ようこそ歴史ロマンのまち寺泊へ・順動丸シャフト特設展示会場」と
 書かれた大きな看板がある。
 会場に「順動丸の概要」と「順動丸の最期」が記載されているパンフが置かれ、知人で
 ボランテイアの小越忠教さんが説明する。
 ・順動丸
  ・名称:順動丸(英国名:ジンギー号) ・種類:輸送船(蒸気外輪船) ・材質:鉄
  ・大きさ:長さ約77m、幅8.6m、高さ約5.1m
  ・排水量:405トン ・馬力:360馬力 ・造船地:イギリス
  ・造船年:文久元年(1861) ・受取年:文久2年(1862)
  ・受取地:横浜 ・価額:15万ドルで幕府が購入
 ・順動丸の最期
  順動丸は、幕末の文久2(1852)年に徳川幕府がイギリスから15万ドルで購入した
  当時の最新鋭蒸気外輪船。
  当時活躍した勝海舟坂本龍馬徳川家茂なども乗船した。
  戊辰戦争下には、大量の武器や兵士を運び活躍したが、慶応4(1868)年、函館・
  新潟を経由し寺泊沖で停泊中のところ出雲崎方面から現れた新政府軍の2船の軍艦の
  急襲を受ける。
  多くの命中弾を受け、逃げ場を失った順動丸は拿捕を避け、浅瀬に乗り上げた後、自爆
  した。
  公開するシャフトは、爆発により四散したものを、後日、海底から引き揚げられたもので
  ある。
 ・展示品
  ・シャフト1対(2本)
   ・大きさ:全長430センチ、直径(軸径)30センチ、重さ4トンと4.5トン
   ・材質:鉄
  ・船体の窓(ガラス付き)1個
  など。
明治元年越後大合戦略図と慶応4(1868)年の順動丸の航路
 ・明治元年越後大合戦略図
  明治元年越後大合戦略図には5月17日寺泊沖舟合戦で、薩摩と長州の軍艦に挟まれ
  炎上する順動丸の様子が描かれている。
 ・慶応4(1868)年の順動丸の航路
  ・2月16日:会津藩が順動丸を借り上げる
  ・3月13日:横浜で火薬、平潟で石炭と武器を積む・・・その後佐渡沖へ
  ・5月18日:会津藩の越後での戦況悪化をうけ、応戦に備え出雲崎から柏崎へ
  ・5月20日:柏崎沖で停泊
  ・5月24日:寺泊沖で停泊、新政府軍の2隻の軍艦から砲撃を受け寺泊上片町付近で
   座礁
  ・5月25日:寺泊上片町付近で自爆
・番外:寺泊出身の勤王の志士本間精一郎
 勤王の志士本間精一郎が土佐藩岡田以蔵に襲われ死亡する場面が放送された。
 本間精一郎は、天保5(1834)年、寺泊片町の豪商で酢の醸造業を営む本間家(屋号は
 「カクホン」)に生まれた。
 嘉永6(1853)年江戸へ行き昌平こうに学び、「北辰一刀流」の千葉周作道場で剣術を
 磨いた。
 その後、京都・土佐・長州・薩摩に赴いて、国防を論じて討幕を画策したが、同士の共感を
 得られず、文久2(1862)年8月20日、京都先斗町薩摩藩士の田中新兵衛土佐藩
 岡田以蔵らに襲われ、29歳の若さでこの世を去った。
 大正13(1924)年、改めてその功績が評価され従五位が贈られた。
 生家跡に「本間精一郎生誕の地」の石碑が建つ。
会場でボランテイアをしていた小越忠教さんは、今日の「龍馬伝」で順動丸が放送される
ので是非観てくださいと。
2日放送の「龍馬伝」で幕府の蒸気船順動丸が出た。
明治時代に海中から引き揚げられ、屋外に展示されていたが、傷みが激しくなり1月から
倉庫で眠っていた順動丸のシャフト。
大河ドラマ龍馬伝」のお陰で再び人々の脚光を浴びる。

寺泊にも勤王の志士がいた (イラストを模写)