旧山古志村の中山隧道と旧木籠集落を訪ねる

kanazu362010-05-06

ゴールデンウイーク期間の5月2日、小千谷市の横渡から
国道291号線経由で山また山を越えて旧山古志村に入り
手掘り日本一の長さの中山隧道と中越地震で水没し、
今も地震の爪あとが残る旧木籠(こごも)集落を訪ねた。
・手掘り日本一の長さ中山隧道(旧山古志村小松倉:中山隧道・5月2日) 
 新潟県山古志村小松倉(現長岡市)と旧広神村水沢新田(現魚沼市)を結ぶ「中山
 隧道」。
 手掘りの道路トンネルとしては日本一長い877m。
 昭和8(1933)年11月12日から16年かけ戦後の昭和24(1949)年5月1日
 に貫通した。
 開通当時は922mあったが、水沢口付近での崩壊などにより現在の877mになった。
 長さ:502.8間 ・幅:4尺 ・高さ:6尺
 平成10(1998)年10月に並行して自動車用トンネルが開通した。
 延長:913.0m ・幅:8.5m ・高さ:4.7m
 自動車用トンネルの開通で約50年間に及ぶ隧道としての役割を終えた中山隧道は、
 現在史跡として整備保存されている。
 ゴールデンウイークのため小松倉口の駐車場に小松倉・水沢・大芋川集落の人たちが
 テントを張り見学者を接待していた。
 トンネル内の灯りは普段消されているが、ゴールデンウイークの5月2日は点灯されて
 いた。
 灯りが消されているとトンネル内は真っ暗で懐中電灯が無ければ危険で歩けないという。
 水沢口まで歩く人は少なく、ほとんどの人は20mくらい歩いて引き返すという。
 薄暗い蛍光灯の灯りを頼りに水沢口まで約20分かけて歩いた。
 途中、大量出水遭遇箇所・貫通点(昭和24年5月1日)・待避所の看板があり横穴には
 当時使ったトロッコが保存されている。
 やっと水沢口に出た。
 道路や山肌に残雪があり、山肌の斜面にフキノトウが沢山芽を出していた。
 入口に「小天狗」と書かれた石柱が立つ。
中越地震の爪あとが残る旧木籠集落(旧山古志村木籠:旧木籠集落・5月2日) 
 木籠集落は、中越地震(2004年10月23日)による地滑りで堰き止められた芋川が
 ダムとなり、全24世帯のうち14世帯の家が水没した。
 家ばかりでなく、田んぼや牛舎も水に沈み、水没しなかった家も全半壊の被害を受けた。
 長岡市は、木籠の一角に約4000平方メートルの宅地を造成し、集団移転を決め14戸が
 戻った。
 木籠集落の近くを流れる芋川に新しい木籠橋が架かる。
 橋のたもとの広場に「天に星地に花人に愛・芝桜の里木籠」と書かれた看板が立つ。
 眼下の芋川を見下ろした。
 芋川の河原に新築したばかりの家の1階が土砂に埋まっている。
 近くには屋根にブルーシートがかけられた家や牛舎など数棟の建物も土砂に埋まり水没
 したままで無残な姿をさらしている。
 旧木籠集落図と「千年の一歩・日本の故郷・地震で沈んだ村皆の力でここによみがえる・
 山古志木籠」と書かれた石碑が後世に語り継ぐ。
 工事現場用のプレハブを利用して作られた資料館「郷見庵」には、地震で水没した家屋の
 写真が飾られ新聞切り抜きや地震の様子を写した記録写真集なども置かれている。
中越地震の影響で過疎が急激に進む旧山古志村の山奥の集落。
中山隧道や旧木籠集落の地震の爪あとを見学しょうとゴールデンウイーク期間中、多くの
人が小松倉や旧木籠集落を訪れていた。

眼下に地震の爪あと土砂に埋まる家が (イラストを模写)