坂井輪周辺の神社巡り

kanazu362010-06-03

長岡市新潟県立近代美術館で開催中の
「奈良の古寺と仏像展」が人気だ。
来館者が6月2日10万人を突破、6月2日には期間中最多の
8505人の人が来場した。
新聞に「神社本庁」に属する全国の神社の数が出ていた。
全国で7万9012社あり、新潟県は全国のトップの4755社で2位の兵庫県を約900社上回る。
神社に興味を持ち新潟県立文書館で「神社明細帳」から地元坂井輪地区の神社をで調べた。
「神社明細帳」は、明治12年6月28日内務省達により、各集落が社寺取扱規則の基準に合致する神社及び寺院の明細帳を作成し登載したもの。
資料によると上坂井輪村に3社・下坂井輪村に5社・新通村に14社・新貝村に2社の
計24社が掲載されていた。
5月29日神社明細帳に記載れている神社巡りに出かけた。
・神明宮(大野郷屋)
 大野郷屋村も合併で今は新潟市大野となったいる。
 大野郷屋村の産土神である神明宮はJR新潟大学前駅の南方の西川の左岸近く鎮座し、周辺は集落と新興住宅地が混在するる。
 祭神は天照皇大神
・神明宮(新通)
 旧新通村の産土神である神明宮は、西川を挟んで大野郷屋の神明宮の対岸の「腰廻り」地区に鎮座する。
 祭神は天照皇大神である。
 伝承によると慶安年間(1648−1652)に火災に遭い再建したという。
 1953(昭和28)年、村内の厳島神社(腰廻り)と神明宮(輪之内)を合祀した。
大山祇神社(新通)
 神社創設が明治34年のため神社明細帳に記載はない。
 大山祇神社は、道場山交差点の南方の坂井橋近くに鎮座する。
 すぐ裏を西川が流れる。
 1901(明治34)年の町村合併で,上坂井輪村・下坂井輪村・新貝村・新通村の4村が合併して坂井輪村となった。
合併事業が難渋したため、新通村下組庄屋の吉田弥平氏大山祇命に願をかけたところ事が成就した。
 このことから1926(明治39)年に神霊を勧請して自宅前に神社を建てたのが起源だという。
・坂井神社(坂井砂山)
 旧坂井村の産土神である坂井神社は、JR越後線の南を線路に並行する県道16号線(亀田内野線)の道上山交差点の角に鎮座する。
 1626(寛永三)年に小祠を建てたのを発祥とし天明(18世紀末)のころ、度重なる水害を見た国主である長岡藩牧野家より現社地を寄進され、当時の庄屋前田為七の命で現在地に社殿を移し遷座したと伝える。
須賀神社(須賀)
 旧須賀村の産土神である須賀神社は、坂井東小学校の南,西川が南側に湾曲したあたりに鎮座する。
 祭神は建御名方命で、鳥居の額束に「諏訪神社」と書かれているが、鳥居の脇の木柱には「須賀総鎮守須賀神社」と書かれている。
 集落の人は親しみを込め「お諏訪様」と呼ぶ。
・亀貝諏訪神社(亀貝)
 旧亀貝村の亀貝神社は、県道44号線(新潟燕線)の亀貝橋と亀貝インターチェンジの中間に鎮座する。
西川から別れた細い川(農業用水路?)に沿った集落の土手を歩くと石の鳥居が目に入りる。
 鳥居の額束には「亀貝神社」と刻されている。
 そこから下り坂の参道を進むと朱の鳥居に「亀貝神社」と書かれた額束が飾られいる。
 朱の鳥居の脇に「亀貝諏訪神社」と刻まれた石柱が建ち境内は亀貝諏訪公園となっている。
 元和年間(1615−1623)の創立と伝える。
新潟に住居を構えたのが昭和50年。
坂井神社が地元の氏神様。
神社の家紋が「左三つ巴」でわが家と同じで親しみが湧く。

あれ!家紋が同じだ (イラストを模写)