昔の面影が残る“醸造の街”摂田屋を  歩く

kanazu362010-06-07

昨6日のNHK大河ドラマ龍馬伝は「池田屋に走れ」だった。
長岡市摂田屋にある光福寺は、戊辰戦争で長岡藩の本陣が
置かれた寺で「開戦やむなし」と北越戦争の始まりを告げる
寺として歴史に名を残す。
長岡市大手通りのまちなか情報交流館に「摂田屋散策絵図」が置かれていた。
絵図に摂田屋地区は、味噌・醤油・お酒の醸造所が集まった“醸造の街”と書かれ光福寺も紹介されており興味を持ち5月30日街を散策した。
・「摂田屋」の地名の由来
 摂田屋の地名は、要路の分岐点として中世のころに存在した「接待屋」と呼ばれる僧や山伏の無料休憩所に由来する。
 旧三国街道にある摂田屋は、江戸時代には天領に組み込まれていたため、この地区を通るときは殿様ですら籠をおりて歩かれたと伝えられ、参勤交代の要路として殿様街道の別名を持っている。
・酒
 ・吉乃川
  1548年上杉謙信春日山城入城の年に創業したと伝えられる老舗の酒蔵。
  敷地内に「天下甘露泉の石碑」が建つ。
  酒造用水井戸(天下甘露泉):水はお酒の生命です。地下10m・良質の地層より
湧出するこの井水は鉄分の少ない適度の軟水で飲口のすっきりした吉乃川の味の基盤になっております。
 ・長谷川酒造
  江戸末期の創業「雪紅梅」で知れれ、新潟米・信濃川の伏流水・越後杜氏の技術で磨かれた摂田屋の老舗。
 ・機那サフラン酒本舗
  かって、養命酒と勢力を二分した機那サフラン酒本舗。
  明治から昭和初期に財を成した同本舗の敷地は約3000坪。
  庭には国内各地から取り寄せた奇岩などがある。
  主屋正面右側に建つ道具蔵正面の極彩色に彩られた鏝絵(こてえ)は素晴らしい。
  河上伊吉が大正末期に完成させた傑作で国の登録有形文化財に指定されている。
・味噌:醤油
 ・手造り味噌星六
  国産無農薬の大豆と米・自然塩を使った古式味噌造りを手がけ、マンガ「美味しんぼ」で紹介されたことで有名。
 ・味噌醤油:星野本店
  弘化8年(1846)創業で160年余の伝統を持つ。
  味噌・醤油の製造は、ヤマホシサンの商標で知られる。
 ・味噌醤油:越のむらさき
  天保2年創業で長岡藩時代に始まった越のむらさきの醤油造りは170年の伝統を持つ。
  今も残るレンガ煙突が古さを物語る。
  店の前に安置された辻地蔵の足下の台座に「右ハ江戸・左ハ山道」と彫られている。
  すぐ近くに竹駒稲荷も鎮座する。
・番外
 ・旧北越銀行  
  旧三国街道沿いに旧北越銀行の建物があり、現在は「秋山孝ポスター美術館」に改装されている。
 ・光福寺
  小千谷の慈眼寺は、慶応4年(1868)に越後国長岡藩家老河井継之助と新政府軍監の岩村精一郎が会談したことで知られている。
  河井は中立和平を訴えたが、決裂し戊辰戦争の内でも激戦として知られる北越戦争へ。
  家老河井継之助は光福寺で全軍の指揮をとり光福寺は凄惨な北越戦争の始まりを告げる寺となった。
摂田屋散策絵図には、旧三国街道沿いに発展した味噌・醤油・お酒の醸造所などが記されている。
醸造の街を歩くと街のあちこちの店の前に大きな醤油桶が展示さられており、古きよき時代の面影が偲ばれる。

こんな大きな醤油桶が (イラストを模写)