巻の街を歩く

kanazu362010-08-03

巻町も中心部の商店街に空き店舗が目立つ。
巻の若者が中心となり町の活性化を目指す。
昨年8月駅前通りに「鯛車焼一成」がオープン、
最近では駅前通りに「交流館囲炉裏」がオーフンした。
7月24日、「まき鯛車商店街」と書かれたのぼり旗がなびく商店街を歩いた。
・JR巻駅では鯛車がお出迎え
 JR巻駅の待合室に巻町の郷土玩具「鯛車」が3台飾られている。
 旧巻町(新潟市西蒲区)に竹と和紙で作る郷土玩具「鯛車」があった。
 お盆の夕暮れ時になると、浴衣姿の子どもたちがいくつもの鯛車にあかりを灯し、
町内を引いて回った。
 鯛車は晩夏の風物詩であった。
 江戸末期から昭和の中ごろまで盛んに行われてきたこの風習は、時代の変遷と共に、
いつしか巻地区から姿を消していった。
 巻町の有志が鯛車の復活を通じて、心豊かな暮らしとまちに活気を取り戻そうと、
5年前から「鯛車復活プロジェクト」チームを結成し巻町の商店街を「鯛車商店街」と命名し街の活性化に勤めている。
・鯛車商店街に「交流館囲炉裏」がオーフン
 巻町の商店街から地域の活性化を目指す住民有志らが、JR巻駅から伸びる駅通りと目抜き通りが交差する角地に空き店舗を利用した「交流会館囲炉裏」を7月23日にオープンさせた。
 交流館には、昭和20年代・30年代・40年代のにぎやかだった巻町商店街のパネル写真が飾られ下駄や地酒や古民家の模型なども並ぶ。
 店内には郷土玩具の「鯛車」や越後桐下駄小林履物店の下駄や地元の酒なども展示されている。
・越後桐下駄小林履物店
 巻町の本町に「にいがた下駄総おどり」の下駄を一手製作する履物店がある。
 越後桐下駄小林履物店だ。
 小林履物店の3代目は小林哲男(71)さんで長男正輝(34)さんが4代目。
 店には桐下駄と1000種類以上の鼻緒が陳列されている。
 下駄工場が巻町竹野町あると知らされ工場を訪ねた。
 3代目の哲男さんが下駄の材料の桐の板切りをしていた。
 15歳のとき親父(2代目)の内弟子になり技を磨いた。
 時代の流れで年々同業者が廃業して仲間も少なくなった。
 仕事場を案内してくれた。
 座布団が2枚敷かれている。
 「ここで私とせがれの二人で下駄を作ります。せがれは大学を卒業後別の仕事に付き
 ましたが数年前地元に戻りました」と。
 4代目の正輝さんは、インターネットを活用し全国有名百貨店や各地のベントに参加、代々伝わる鼻緒すげの技の披露と実演販売を行う。
・巻の地酒を販売する岸本酒店
 店内には新潟県のお酒をが並ぶ。
 地元巻の地酒「笹祝」「越後鶴亀」「峰乃白梅」も飾られている。
 店内には試飲したりお茶を飲むスペースも備え付けられ酒を飲みながらゆっくりと休むことができる。
・鯛車焼きの一成
 郷土玩具「鯛車」をモデルに「鯛車焼」をアイデアに商品化した若者がいる。
 田畑一成(27)さんで「鯛車焼 一成」の店は昨年8月21日にオープンした。
 和風モダンなお店で駅前通りにあり蔵を改装した建物だという。 
 店内に入ると可愛らしい玩具の「鯛車」が何台も飾られている。
 皮をよく見ると、台車に巻町の「巻」の文字があしらわれその上に鯛が乗り車輪もある。
 聞けば鯛車焼の型は特注で知人が作ったものだと。 
・はしもと玩具店
 「交流館囲炉裏」の前に「はしもと玩具店」がある。
 昭和34年ころにはやったフラフープが壁にかけられ売られていた。
 3代目主人の橋本貴之(39)は、「最近またフラフープの人気が復活し売れている」と。
 フラフープは1958年にアメリカで大流行したことを受けて、同年10月18日に日本でも全国一斉に日本製の商品の販売が開始された。
 販売される店には行列ができ、特に1960年代には日本中で爆発的に売れ、一大ブームを起こした。
 しかし、その後、フラフープ使用によるとされる腸捻転、胃穿孔、卵巣破裂といった事故が頻発したとの噂が流れ、急速にブームは沈静化した。
 最近ではフラフープダイエットが人気でフラフープをすると内臓の機能も活発になり、腰痛にも効果が見られ、ウエストのサイズダウンにも効果が期待できると人気が復活している。
 店内は子ども以上に若い女性たちの姿の多いのに驚いた。
「交流館囲炉裏」が「まき鯛車商店街」の起爆剤になるか・・・。

これが郷土玩具「鯛車」 (イラストを模写)