真夏の浜めぐり

kanazu362010-08-12

日本列島は17日の梅雨明けと以降連日30度を超す
真夏日が続く。
台風4号はきょう12日昼過ぎ新潟県に最接近するという。
新潟市日和山海岸が海水浴がぎわう様子を伝える懐かしい
昭和46年(1971)8月2日付けの写真が掲載されている記事が新聞に。
猛暑日の7日、海水浴でにぎわう浜めぐりに出かけた。
・小針浜(新潟市西区
 夕方から青山海岸で開催される日本海夕日コンサートの準備のためなぎさふれあいセンター駐車場に立ち入り禁止の看板が。
 駐車場脇の砂丘に珍しい砂の断層がはっきりと見える。
・五十嵐浜(新潟市西区
 ・「すだて」工法
  五十嵐浜の砂丘地帯に「すだて」工法で浜を緑にする緑地試験植栽が行われている。
  試験地と書かれた看板の下にスナビキソウ・アキグミ・ハマナスハマボウフウなどが植えられている。
  「すだて」工法とは、牛膓金七という町民が、竹やヨシで編んだ「すだて」を砂浜に立てて砂を止め砂丘を人工的に作り出し、風を弱めること。
 ・海底電話ケーブル
  砂浜を歩くと3角形のアクリル板が取り付けられている珍しい電柱を見つけた。
  電柱に「水底電話ケーブルがこの付近に埋めてあります。損傷しますと電話が通じなくなりますから注意してください。新潟―佐渡・海底幹(NTT東日本)」と書いてある。
  会社に問い合わせると海底電話ケーブルは、平成15年9月に埋設されたもので、新潟の五十嵐浜から佐渡の松ケ崎浜までの約40キロを海底で結んでいる。
・内野浜(新潟市西区
 新川の往来橋を渡り松林を抜けると内野浜海水浴場に出る。
 浜茶屋が1軒・仮設トイレがある。
 国道402号線バイパスの新新川橋の架設工事が進み橋は完成したようだ。
 バイパスの建設で付近の景観が一変。
 新潟市内の海岸で唯一残された月見草(オオマツヨイグサ)の群生地だったも内野浜の砂丘地も姿を消した。
 バイパスののり面にわずかに残った月見草が黄色い花を咲かせ浜風に揺れる。
・角田浜(新潟市西蒲区角田)
 浜辺に「ヒエログリフ」と角田灯台の下に「名勝・判官舟かくし」がある。
 ・ヒエログリフ
  浜辺に水と土の芸術祭で作られた野外作品「ヒエログリフ」が今も展示されている。
  ヒエログリフは、古代エジプトの王の名前や冥界の神の名前を御影石に刻んだ石碑。
 ・判官舟かくし
  文治3年(1187)3月、源判官義経が兄頼朝に追われ、奥州平泉に海路おちのがれる際、追手を避けて舟とともに身をかくした洞穴と伝えられている。
  大小二つの洞穴があり向かって右側が大きく奥行28m・幅4〜5m・天井の高さは海面から6.6m〜2.5m。左側の洞穴は奥行14m・幅2m・天井の高さは海面から4m〜5mである。(昭和42年3月巻町文化財に指定された)
・間瀬浜(新潟市西蒲区間瀬)
 浜辺に「越後七浦観音」が建つ。
 昭和46年8月村民待望の「越後七浦観音」は、霊峰弥彦山脈の麓、間瀬の聖地に魚籃観音像として開眼した。
 風雪害により損傷も次第にはげしくなり昭和58年6月に閉眼した。
 地域住民の観音様再建を望む声に支えられ昭和60年9月日本海を見下ろすこの地を虚空蔵様の聖地と定め建立した。
・野積浜(旧寺泊町野積)
 野積のお宿「まつや」前の公園に「寺泊二里」の道標が建つ。
 宿の庭には、老松が三本あり、脇に「八百比丘尼の松」の説明が書かれている。
 昔、野積に生まれた漁師の一人娘が、父親が弥彦の神様から授かった食べ物を食べた
ところ、娘の容姿は何年、何十年経っても変わらず、いつまでも若く美しいままでいることができました。
 しかし、何百年も年をとらない娘は、何度か嫁にいっては夫に先立たれる運命を背負ったため、ついにこの地に居たたまれなくなり、剃髪し尼さんになって、諸国修行の旅を続け、最後は若狭国福井県)の空印寺で修行を重ねることにより入寂したといわれます。
 このいつまでも若々しいく年をとらない尼さんを、人々は八百比丘尼と名付け、生家を出るときに、家の前に植えた松を「八百比丘尼の松」と呼んでいる。
・寺泊浜(旧寺泊町
 寺泊の中央海水浴場の砂浜が年々沖に向かって延びていると新聞に。
 浜辺に出て驚いた。
 与板に勤務していた昭和54年に娘を連れて海水浴に来たころは浜茶屋の目の前が海だったのに。
 砂浜も沖へ沖へと延びたことから浜茶屋の分店も海を追いかけるように沖へ。
 本店と分店の距離は500m以上もある。
 長岡市寺泊支所は「大河津分水から流れ出る土砂が堆積したのでは」と。
 約50年前は今の国道の辺りまで海だったのに・・・。
今年の夏は猛暑で海も久しぶりの賑わいに。
台風が通過、秋はもうそこまで。

真夏の浜めぐり (イラストを模写)