越後高田藩の変遷と維新の嵐

kanazu362010-08-13

きょう13日は月遅れのお盆の迎え火。
お盆恒例の朝市が13日午前6時から新潟ふるさと村で
開催されている。
お盆前久しぶりにふるさと上越市高田に帰省した。
上越市高田大町5丁目通りの軒下に夏の風物詩の風鈴が吊るされ涼しげな音が道行く人を涼の世界に誘う。
高田藩維新の嵐」展が開催されていたので8月4日見てきた。
越後高田藩の変遷を知るため村山和夫著「シリーズ藩物語:高田藩」を購入した。
・越後高田藩の変遷(シリーズ藩物語:高田藩から抜粋)
 ・高田藩の創設
  徳川家康公の六男松平忠輝公が1614(慶長19)年、越後高田に築城、75万石の高田藩の歴史が始まる。
  忠輝は、入封5年後の元和元年(1615)8月、家康から勘当され、翌2年7月所領を没収の上、伊勢朝熊(三重県伊勢市)へ配流となった。
 ・親藩による藩政
  ・酒井家:家次・忠勝(在城期間:2年6カ月)
  ・松平伊代守家:忠昌(在城期間:5年1カ月)・忠昌は家康の孫で忠輝のおい
  ・松平中将家:光長(在城期間:57年3カ月)・高田藩の最盛期・光長は家光のおい尾張紀伊・水戸の三家につぎ四家と称せられたが越後騒動により取り潰し。
 ・在藩時代:5年5カ月
  幕府から任命された10名の大名が二人ずつ組んで城の番をし、代官が政治をとった
 ・譜代大名在藩時代
  ・稲葉正通:在城期間:16年7カ月
  ・戸田忠真:在城期間:9年2カ月
  ・松平越中守家:定重・定逵・定耀・定儀・定賢(在城期間:31年3カ月)
 ・譜代大名榊原時代
  榊原家の藩祖は、徳川四天王の一人榊原康政
  転封を重ね寛保元年(1741)10月姫路15万石から高田15万石に領地替えとなり約130年間にわたって高田藩を治めた。
  榊原家は高田で明治維新を迎える。
・「高田藩維新の嵐」展(上越市高田:市立総合博物館・8月4日)
 激動の幕末・維新の嵐にもまれた越後高田藩の軌跡を、最後の城主榊原家の史料を中心に紹介されている。
 会場入口に「高田城下絵図」と「幕末・維新期 社会の動きと高田藩の動き」の年表が掲げられている。
 幕末、譜代大名の名門である高田藩榊原家は、旧幕府と新政府の板ばさみとなった末、新政府軍の先鋒として中越会津旧幕府軍と戦った。
 幕末・維新の軌跡史料がコーナー別に展示されている。
 ・幕末の高田藩 ・佐渡警衛と海岸防備 ・長州へ ・小瀬川、宮内の戦い
 ・藩是―哀訴諌奏 ・決断―川浦戦争 ・長岡の攻防 ・転戦―会津
 ・戊辰戦争直江津今町 ・もう一つの高田藩
 藩士橋本直義が描いた「長州征討行軍図」のスケールの大きさには驚いた。
・2014年は高田開府400年
 2014年は、徳川家康公の六男松平忠輝公が1614(慶長19)年に高田城を築城開府から400年となる。
 上越市高田では、高田開府400年祭の準備が進められている。
・番外:金津家の紹介(現在町屋として市が管理)
 シリーズ藩物語:高田藩の本の中にわが家が紹介されている。
 金津家は桶屋である。
 間口3間・切妻造り・平入りで屋根は現在鉄板葺きである。
 前面に雁木がある。
 間取りは、幅1間の通り庭を右側に取り、これに沿って表から店・茶の間。座敷の三室が並ぶ3間取りである。
 店は、桶職の作業場であり、製品の見本が並べられていた。
 店には天井が張ってあるが、茶の間は吹き抜けで、梁組みと屋根裏を見せる。
 建築年代は19世紀中頃(江戸時代の末)と推定される。
 一部に古材が入っている。
 座敷は昭和2年(1927)に改造された。
「シリーズ藩物語:高田藩」を読み「高田藩維新の嵐」展を見て改めてふるさと越後高田藩の歴史を知った。

越後高田藩の歴史を知る (イラストを模写)