間瀬の大工と阿賀野の匠作品展

kanazu362010-09-17

9月25日から旧岩室村の「いわむろや」で写真で見る郷土の
先人たちが開催される。
先人たちの中に日本で最初にヨーロッパに渡った角海浜の大工
山添喜三郎が紹介されている。
大工といえば「間瀬大工功績展」と「阿賀野の匠作品展」とが開催されていたので見てきた。
角海浜の大工山添喜三郎
 9月25日から岩室の「いわむろや」で写真と資料で見る・郷土の先人たち」11人が紹介され、その一人に角海浜の大工山添喜三郎がいる。
 山添 喜三郎(1843年―1923年5月16日)は、明治初期の建設技術者。
 天保14年(1843)9月15日新潟県角海浜(現新潟市)生まれ。
 船大工をしていたが、東京に出て松尾伊兵衛に建築を学んだ。
 松尾とともにウィーン万国博覧会(1873年)に参加し、日本館を建設。
 1年間ウィーンやロンドンで西欧建築にふれた。
 帰国後、内務省を経て宮城県技師になった。
 擬洋風建築の登米(とよま)小学校(宮城県登米(とめ)市)で知られる。
・間瀬大工功績展(旧岩室村:岩室公民館・7月30日) 
 岩室に住む知人から間瀬の旧家から寺院などの図面が多数発見され、その一部が岩室公民館に展示されていると知らされ見てきた。
 展示されているのは「間瀬大工功績・遺品の一部」。
 ・職工日々勤怠表(明治42年2月以降):西蒲原郡間瀬村・赤川扣
 ・安宅山本堂の20分1図面:間瀬村・赤川惣太郎
 などなど。
 ・間瀬大工とは
  間瀬大工は天正年間に能登から移住した職人が始まりといわれる。
  腕に優れ文政頃の篠原喜左衛門、田中三右衛門、田中要蔵の三名工は将軍に召し出され江戸で社殿建築に従事した。
  旧岩室村の丸子山公園に石川県の天然記念物に指定されている「アギシコギクザクラ」が記念樹として植えられている。
  植樹の由来が看板に書かれている。
  桜の木は石川県鳳至郡門前町にある浄土真宗大谷派の寺院阿岸本誓寺の境内に植えられている桜の若木を間瀬大工出稼ぎの記念樹として譲る受け平成13年10月に移植したもの。
  本誓寺は、篠原嘉左工門を棟梁とする間瀬の大工集団が12年間をかけて寛政4年(1792)に完成させたもので、それに伴ない間瀬大工は山に咲いていた珍しい桜の木を境内に植えて去ったことが、間瀬地区に残る文書に伝えられている。
阿賀野の匠作品展(阿賀野市村杉:五頭山麓うららの森・9月4日) 
 阿賀市の高度な職人技術を紹介する阿賀野の匠作品展が五頭山麓うららの森で開催されている。
 紹介されている4人の職人は、大工や宮大工の「高橋正夫」「佐藤幹雄」「明間吉敏」「辻文雄」。
 精密に彫られた仏像・釘を使わない木組み・屋根の曲線を表現した神棚用の社殿・神札納め・テッシュボックス・時計ケース・木のおもちゃなど職人の技が光る木工製品約20点が並ぶ。
 脇に「安田八幡宮の拝殿改修工事が完成しました」と安田の宮大工が活躍する改修工事の写真が展示されていた。
・改修された安田八幡宮を参拝(旧安田町保田:安田八幡宮・9月4日)
 改築工事が終わり竣工されたヒノキの光沢と香りが漂う安田八幡宮を参拝した。
 安田八幡宮は、旧安田町の保田小学校の北に鎮座する。
 伝承では長徳3年(997)、保田町開設のさいの創立とされる。
 保田町の産土神で、明治5年(1872)に村社となった。
 祭神は誉田別尊であるが、昭和3年(1928)に大山祇命と木花咲爺姫命が合祀された。
 地元業者と地元宮大工などの協力で約150年ぶりに拝殿を含む改築工事が8月13日完成、8月22日竣工式が行われた。
大工や宮大工の技が今に甦る。

匠の技を見る (イラストを模写)