小説親鸞続編始まる

kanazu362010-12-24

地方紙新潟日報五木寛之さんの親鸞の連載が始まったのが、
2008年9月1日からだった。
書き出しは、「人を殺す牛」章、昨夜からの雨も朝にはあがって、
京の大路には秋の日がまぶしい。
忠範は目をほそめながら歩いていた。
で始まった。
小説は、2009年8月31日「愚禿(ぐとく)親鸞の海」章、親鸞聖人が流罪先の
居多(こた)ケ浜(上越市五智)に上陸するとこで終わった。
1年間354回の連載であった。
新聞連載小説親鸞続編「激動篇」が2011年1月1日から始まる。 
激動篇は、どんな書き出しで始まるだろうか。
親鸞に魅せられ越後七不思議(逆さ竹・焼鮒・片葉の芦・三度栗・八房の梅・珠数掛桜・ 繋ぎ榧)の地巡りをした記憶を日記で調べた。
・越後七不思議(新潟市ガイドから抜粋)
 ・山田の焼鮒(旧黒埼町山田:田代家・2008年5月7日) 
  1211年(建暦元年)11月17日、親鸞に赦免の沙汰が下り、国府に帰ることになった。
  村人たちは山王権現の社に集まって別れの宴をした。
  ある村人が酒の肴として持ってきた焼鮒を手にした親鸞が、御洗水池のほとりにある榎に袈裟をかけ、「我が真宗の御法、仏意にかない、念仏往生間違いなくんば此の鮒、必ず生るべし南無阿弥陀仏」と言いながら、池に放つとその鮒が生き返ったという。
 ・保田の三度栗(旧安田町保田:孝順寺・2009年5月20日) 
  安田(現阿賀野市)の孝順寺に伝わる。
  あるとき老女が、焼き栗を親鸞に差し上げた。
  親鸞が老女と別れをするときに、焼き栗を出し、「わが勧むる弥陀の本願、末世に繁昌いたさば、この栗、根芽を生じて一年に三度咲き実るべし。葉は一葉にして二葉に分かれて繁茂せよ」といって栗を蒔いた。
  すると、焼き栗は芽を出し、年に三度花を咲かせ、その葉の先は二つに分かれて茂った。
 ・田上了玄寺の繋ぎ榧(田上町湯田上・2009年5月20日)
  田上町の了玄寺に伝わる。
  親鸞聖人が護摩堂山の城主に招かれ法話をした折、城主がかやの実を聖人に差し上げた。
  それは農民が年貢米の代わりに糸でつなぎ、納めたものだった。
  その一粒を地に植えると翌年に芽を出し、その実にはつないだ穴の跡と、また一枝で葉が表向きと裏向きに互い違いになっているというから不思議。
 ・小島の八房梅(旧京ケ瀬村小島:梅護寺・2009年5月20日) 
  小島に住む夫婦が塩漬けの梅を親鸞聖人に差し上げると、「末代の凡愚弥陀の本願を信じまいらせ浄土往生うたがいなくんば、漬けたる梅より芽生じ、花一輪に八ッの実を結んで末の代に栄え、凡夫往生の証拠になれよ」といい、「後の世のしるしのために残し置く弥陀たのむ身のたよりともがな」という詩を詠んで植えたところ、枝葉四方に茂り、花八重にして色紅になり、一輪に八つの実を結ぶ八ッ房の梅となった。
 ・小島の珠数掛桜(旧京ケ瀬村小島:梅護寺・2009年5月20日) 
  親鸞聖人が小島の里を去るときに、数珠を街道の桜に掛け、「我が弘むる御法にいつわりなくんば花ふさ数珠の如くならん」というと、桜が親鸞の言葉に従うように垂れ下がって咲いたと伝える。
 ・国府の片葉の葦(上越市五智:居多神社・2009年5月23日)
  葉が片側一方向にだけ伸びるアシ。
  親鸞聖人が居多ヶ浜に上陸した後、居多神社を参拝した。
  日の丸に六字名号を書き、「末遠く法をまもらせ居多の神、弥陀と衆生のあらむ限りは」と一首添えて供えた。
  すると池に生えるアシが一夜にして「片葉」になったと伝えられる。
 ・鳥屋野逆竹(新潟市中央区鳥屋野・2009年5月30日)
  1207年(建永2)に越後へ配流となった親鸞は、鳥屋野に草庵をつくって、数年間農民とともに暮らし、布教して過ごした。
  親鸞法話を説こうとしたとき、まともに聞く人がなく、杖の竹を逆さに突き刺して「この里に親の死したる子はなきか、御法の風になびく人なし」と歌をよんだところ、根を生じて逆さまの枝をつけたという。
 ・川越波切りの名号(新潟市西区寺地・2009年5月30日)
  親鸞聖人が平島村で説法して信濃川対岸の鳥屋野へ舟で帰るとき、にわかに天候が悪化して嵐になり、船は木の葉のように揺れて進まず、船頭の鈴木新十郎の力が尽きようとしていた。
  このとき、親鸞が懐から紙を出して「南無阿弥陀仏」の六号御名号を書いて舟に付けると嵐は収まり、波を切って無事に対岸の鳥屋野に着くことができた。
  新十郎は子孫代々この御名号を大切にお守りしたという
恵信尼の里を訪れる(旧板倉町米増:ゑしんの里記念館・2009年5月23日)
 旧板倉町は、親鸞の妻恵信尼が晩年を過ごした場所とされている。
 ゑしんの里記念館の一画に墓所として恵信尼塔が祀られている。
 ゑしんの里記念館には親鸞の妻恵信・十通の手紙展で飾られている。
 書簡は、恵信尼が板倉から京都にいる娘の覚信宛に送ったもので、親鸞との生活の
 様子を回想する内容。
・番外:八珍柿
 八珍柿の名の由来は、越後国に珍しいことがらを七つ集めた越後七不思議の話が伝わる。
 親鸞聖人の越後七不思議は、逆さ竹・焼鮒・片葉の芦・三度栗・八房の梅・珠数掛桜・ 繋ぎ榧(つなぎガヤ)。
 種なし柿は、七不思議の次に珍しいの意から「八珍」と名づけられた。
 巻地区では八珍柿を「越王(こしわ)柿」と呼ぶ。
・番外:来年は親鸞聖人の750回忌
 親鸞聖人ゆかりの旧跡が多い上越市五智国府地域の住民でつくる「五智歴史の里協議会」では、このほど来年の親鸞聖人の750回忌を前に地区内の史跡などを紹介する案内地図を作成した。
 案内地図には、国府の片葉の葦(上越市五智:居多神社)も紹介されている。
親鸞続編の新聞連載でまた新聞を読む楽しみが・・・。

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