東日本大震災による塩害と貸鍬(かし  ぐわ)用具展

kanazu362011-04-17

雪解けとともに春の耕作の季節がやってきた。
里の農家の人たちは、昔から山々に雪が残る残雪模様を
いろいろな形に見立てて農作業の目安にして農耕を始める。
雪形も地方によって様々。
ふるさと上越地方では、妙高山(2454m)の「跳ね馬」、南葉山(949m)の「種まき男」、米山(993m)の「鯉」などの雪形が有名。
新聞に東日本大震災津波に伴なう「塩害」などで宮城県内の水田1万ヘクタールが作付け不能作と。
農家にとって鍬は農耕に欠かせない用具だ。
「越後の貸鍬用具展」が、柏崎市の市立博物館で開催されていたので4月16日見てきた。
東日本大震災津波に伴なう「塩害」で作付け不能
 宮城県の調査で、東日本大震災津波に伴う塩害などで宮城県内の水田約1万ヘクタールが、作付けできない見込みであることが4月2日分かった。
 東京ドーム2100個分の面積に相当する。
 農林水産省は塩害としては、「過去に例のない規模」としている。
 東北農政局によると、東北6県の水田の面積は約44万ヘクタール。
 岩手や福島両県でも沿岸部を中心に津波被害が出ており、さらに水田の作付け不能区域が広がる可能性がある。
・越後の貸鍬(かしぐわ)用具展
 国の文化審議会(西原鈴子会長)は1月21日、柏崎市が所有する「越後の貸鍬用具」266点を登録有形民俗文化財とするよう高木義明文部科学相に答申した。
文化財の登録は県内初、全国で17件目。
 貸鍬とは、鍛冶屋が製作した鍬(くわ)を農家に貸し出す風習で江戸時代から続く。
 農閑期に貸賃のコメと鍬を回収して修繕し、春に再び貸し出す。
 借り賃は鍬一丁当たりコメ2升前後とされ、戦後は現金に代わったという。
 上・中越地区で江戸時代から昭和30年代までみられたが、農業の機械化や鍛冶屋の減少と高齢化が進むにつれ廃れ、風習が残る地域は少ない。
 会場の柏崎市の市立博物館には、25年かけて柏崎市内や上越妙高小千谷の各市で収集した、貸鍬製品123点・製品修理用具113点・集米用具11点・貸鍬帳19点の266点が並ぶ。
 展示品の中には、平鍬・三本鍬・風呂鍬・備中鍬やコメを量る升・鍬の貸し借り台帳(文化元年(1804)」の日付入り)などに混じり木製の鍬もある。
・番外:貸鍬も営んでいた鍛冶職人秋山秀雄氏
 「越後の貸鍬用具展」と時を同じくして、地方紙新潟日報の「越佐の手仕事」で、貸鍬も営んでいた上越市安塚区の鍛冶職人秋山秀雄(69)さんを紹介していた。
 秋山さんは秋山鉄工所の4代目。
 中学校を卒業後、他の鉄工所で修行を積み25歳で家業を手伝った。
 戦後間もないころ、秋山さんの家も農家に鍬を貸し出す「貸鍬」を営んでいた。
 春に平鍬や三本鍬や風呂鍬などを貸し、農作業が終わる冬に借り賃のコメとともに回収、修理し翌春に備えた。
 「多い年には約100軒の農家が利用していた」という。
桶職人の家に生まれた私は「貸鍬」という言葉は知らなかった。
越後の貸鍬用具展を見て「貸鍬」よいうシステムは、農家が農繁期に鍛冶屋から鍬を借り、鍛冶屋が農家の鍬を使用しない積雪期(農閑期)に修理し翌春に備えるという雪国越後が育んだ合理的な先人の知恵と知り驚いた。

貸鍬用具展を見る (イラストを模写)