直江津の街を歩き文学作品碑などを見る
上越市直江津地区の朝市を中心とした地域活性化を目指す
「三八朝市周辺まちづくり協議会」(勝島寅一郎会長)は、
同地区にゆかりのある著名文学者の文学碑4基の設置を進めて
いた。
これまでに「松尾芭蕉の句碑」「森鴎外の山椒太夫の文学碑」「与謝野晶子の歌碑」の3基を建てた。
最後4基目の林芙美子の自伝小説「放浪紀」の文学碑が3月23日上越市直江津地区の関川河口近くの左岸に建立され、目標の4基設置がすべて完了したと新聞に。
4月16日、直江津の街を歩き文学作品碑などを見てきた。
・旧直江津地区を舞台にした文学作品碑の設置
上越市の旧直江津地区には、直江津を舞台にした4人の作家などの文学作品碑がある。
4人の名作文学作品碑をゆかりの地直江津に設置し、街おこしの起爆剤にしょうと市民が動き出した。
・松尾芭蕉(俳諧:奥の細道・2009年8月に文学碑が完成)
直江津中央町の琴平神社境内に俳人松尾芭蕉の「文月や六日も常に夜には似ず」の石碑が建つ。
松尾芭蕉は俳諧紀行「奥の細道」の旅で、1689年7月6日(旧暦)から同8日まで当時「今町」と呼ばれた直江津に滞在し「文月や六日も常に夜には似ず」の句を詠んだ。
・森鴎外(小説:山椒大夫・2009年12月に句碑が完成)
直江津中央町の琴平神社境内に森鴎外の小説「山椒大夫」に登場する安寿姫と厨子王丸の供養塔があり、その脇に「山椒大夫」の石碑が建つ。
山椒大夫は、人買いの手で母と引き裂かれる安寿と厨子王の悲劇を描いた作品。
平安時代の末期、平正氏は朝廷の意に反して困窮する農民を救おうとし、筑紫国へ左遷された。
妻・玉木と、安寿・厨子王の幼い姉弟は、正氏に会いに行く途中、越後国(今町:現在の直江津)で人買いに騙され、離ればなれになってしまった。
山椒大夫は、中学時代に映画や学校の劇で観た記憶がある。
・与謝野晶子(歌人:短歌・2010年3月に歌碑が完成)
直江津中央町の船見公園に与謝野晶子の歌碑「落日が枕にしたる横雲の なまめかしければ直江津の海」が建つ。
与謝野晶子は、短歌「落日が枕にしたる横雲の なまめかしければ直江津の海」を
残した。
・林芙美子(小説:放浪紀・2011年3月に文学碑が完成)
林芙美子は、小説「放浪紀」の中で、主人公が関川べりを散策したり、名物の
「継続だんご」を食べる様子が描写されている。
夜。直江津の駅についた。土間の上に古びたまま建っているような港の駅なり。
火のつきそめた駅の前の広場には、水色に塗った板造りの西洋建ての旅館がある。
・・・仕方がないので私は駅の前の旅館へひきかえす。硝子戸に、いかやと書いて
あった。
駅のそばで団子を買った。
「この団子の名前は何と言うんですか?」「へェ継続だんごです」
「継続だんご・・・団子が続いているからですか?」
・・・駅の歪(ゆが)んだ待合所に腰をかけて、白い継続だんごを食べる。
直江津駅前の三野屋では、作家林芙美子さんの「放浪紀」にのる名物元祖継続だんごを今も販売している。
・番外:旧直江津銀行の建物とライオン像(上越市直江津地区・4月16日)
旧直江津銀行の建物とライオン像は、2009年10月、持ち主が市に寄付し、市民有志による「ライオン像の建物をまちづくりに活かす会」が市とともに活用を考え、さまざまな取組をしてる。
直江津銀行は1895年(明治28)創業、その後経営破綻し解散した。
建物(旧直江津銀行)は1906年に今の直江津郵便局付近に建てられたもので、銀行廃業後、残された建物を海運業で財をなした故高橋達太氏が買い取り、現在地に移築し高達回漕店の社屋として数年前まで同店の事務所として使われていた。
明治時代に建てられた土蔵造りの変則五角形で、三つの小屋根があり建物周囲に赤レンガの防火壁がある。
建物の前にはライオンの像があり地元では「ライオン像の建物」として親しまれていた。
内部には銀行当時のケヤキ製カウンター、金庫、時計などが残されていて、明治・大正期のロマンを感じさる。
上越市直江津地区内の関川河口の海浜公園付近は、文学碑などが建ち文学の里に大変身・・・。
こんなところにライオン像が (イラストを模写)